《 5月25日 》

A.B.C(6400m) 〜 I.R.C(5800m) 〜 B.C(5150m)

   5月25日、今朝も山頂付近は雪煙が舞っていた。 本当に今シーズンのエベレストは一日中安定した天気という日が一度もなかったように思えた。 登頂後のダメージを和らげるためにキープしておいたエキストラの酸素を毎分3L吸って9時にA.B.Cを出発する。 アタックステージでの再訪を前提としていた前回とは違い、何度も後ろを振り返りながらB.Cへ下る。 酸素の力は絶大で高度を全く感じなかったが、昨日までの疲労がまだ残っているため、下るにつれて逆にペースが落ちていくような感じがした。


今朝も山頂付近は雪煙が舞っていた


エキストラの酸素を毎分3L吸う


9時にA.B.Cを出発する


   前回よりも1時間ほど早く3時間少々で中間点のI.R.Cに着くと、ヨーロッパ隊のラインハルトが追いついてきたので、登頂を祝福して一昨日のサミット・デイの話を聞かせてもらう。 ラインハルトの話では、前夜の11時にC.3(8300m)を出発したが、核心部のファースト・セカンド・サードの各ステップ(岩場)の渋滞が酷くて山頂まで10時間も掛かり、山頂からC.3への下りも渋滞で相当時間が掛かった。 C.3からは風が強くてC.2へ下れなくなってしまったが、C.3に酸素が余分にあった(私達のものか?)ので助かったとのことだった。 同僚のオーストリア人のアーンストが下山中にセカンドステップで滑落して亡くなったが、自分よりも後だったので遺体は見ていないとのことで、アーンスト以外にも亡くなった人がいたり、酸素切れで凍傷になった人も沢山いて、C.3は酷い状況だったと吐き捨てるように話を結んだ。 ラインハルトの話を聞く限り、仮に私(達)が23日をサミット・デイにしていたら、酸素切れで生死の境をさまようことになったかもしれないと思えた。


A.B.CからI.R.Cへ


A.B.CからI.R.Cへ


登頂したヨーロッパ隊のラインハルトを祝福する


ラインハルトから一昨日のサミット・デイの話を聞く


   体力に優るラインハルトを見送り、私達も気合いを入れ直してゴールのB.Cに下ったが、目標を失った身には本当に長く感じる道のりだった。 それでも潤沢な酸素のおかげで、まだ陽の高い4時にB.Cに着くことができた。

   ダイニングルームでゆっくり寛ぎたいところだが、あと12時間後にはB.Cを発つというハードスケジュールのため、夕食の時間まで寸暇を惜しんで荷物の整理とパッキングを行う。 夕方B.Cに下りてきたヘンドリーを偶然見かけたので登頂を祝福した。 B.Cでの最後の夕食は皆の総意でもう何回も食べているカツ煮だったので笑えた。 登頂ケーキとして用意されたケーキには心優しいアンプルバの機転で“SEE YOU AGAIN”の文字が描かれていた。


I.R.CからB.Cへ


I.R.CからB.Cへ


陽の高い4時にB.Cに着く


B.Cから見たエベレスト


夕食のカツ煮


登頂ケーキとして用意されたケーキ


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エベレスト