《 5月24日 》

A.B.C(6400m)

   5月24日、日付が変わる頃にようやく寝入ったが、今朝は4時から目が覚めてしまった。 未明から快晴の天気でエベレストの山頂が良く見えた。 登頂予定時刻だった6時にはテントサイトでは全くの無風だったが、山頂直下の三角雪田に雪煙が舞っているのが見えた。 果たして今の山頂の状況はどうなのか、登っている人にしか分からない。 時間の経過と共に張りつめていた気持ちが緩むと、足の太ももの筋肉痛にようやく気がついた。 今朝の朝食はいつもより1時間遅い9時からだ。 私を含め、皆もそれほど悲壮感はなく淡々としていた。


ご来光


登頂予定時刻だった6時にA.B.Cから見たエベレストの山頂(中央奥)


朝食のパンケーキ


   朝食をゆっくり食べ終えてから、タイミングを見計らって倉岡さんにあらためて昨日の午前中の状況や下山を判断された理由について聞いたところ、次のとおり丁寧な説明があった。 早朝よりB.Cにいるカーリーと無線で今日・明日の天気予報を確認すると、アメリカのマウンテンフォーキャストの予報とカーリーが買っているヨーロッパの会社の予報が正反対で、どちらとも判断が出来なかったが、カーリーはスイス人なのでヨーロッパの予報を信じたいという気持ちが強く、その予報では風は次第に弱くなるとのことだった。 正午を過ぎても強風は一向に収まらず、雪のない岩場をアイゼンを着けて登ることに予想以上に時間が掛かったので、全員がC.3に安全に到着することは難しいと判断し、下山を決断されたとのことだった。 また、最終到達地点でカーリーと無線で話した内容は、ヨーロッパ隊が下山中に風で相当苦戦し、死者も出ているので無理をしない方が良いということと、相変わらず天気予報が正反対なため、現場にいる倉岡さんがどちらの予報を選ぶか決めて欲しいと下駄を預けられたということだった。

   倉岡さんから衛星携帯を借りて妻に電話をすると、意外にも登頂出来なかったことを私以上に悔しがっていた。 ミンマと3人のシェルパ達はこれからC.1に上がって撤収作業に入るとのことで、A.B.Cでお別れすることになった。 その後カーリーなどから入った情報で、ヨーロッパ隊はメンバー全員が登頂したが、C.2まで下山出来たのはパティともう一人の女性のみで、アンドレアスや他のメンバーはC.3までしか下山出来なかったこと、平岡隊は松平さんとアルゼンチン人が登頂してC.1まで下山したことなどが分った。 予報どおり昼前から山頂付近は強い風が吹き始め、夕方には一時的に天気が崩れた。


昼前から山頂付近は強い風が吹き始めた


スタッフ達との記念撮影


昼食のうどん


夕方には一時的に天気が崩れた


   夕食前にマネージャーのディンリがダイニングテントに現れ、ヨーロッパ隊のメンバーのアーンストが下山中にセカンドステップで亡くなったことや、プジャでラマ僧の代わりに祈祷したシェルパのナムギャルが落石に遭って額を怪我したことなどを知らせてくれた。 セカンドステップでの順番待ちは2時間だったとのことで、倉岡隊は良い判断をされたと慰められた。


ディンリがヨーロッパ隊のアーンストが亡くなったことを知らせてくれた


夕食のカツ煮


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エベレスト