《 5月23日 》

   C.2(7650m) 〜 最終到達地点(7750m) 〜 C.2(7650m) 〜 C.1(7050m) 〜 A.B.C(6400m)

   5月23日、夜中は予想以上に風が無かったが、6時前にテントに陽が当たり始めると再び風が強く吹き始めた。 隣のテントのミンマにお湯をオーダーして朝食のレトルトカレーを食べる。 天気は良く体調も悪くないが、断続的に吹いている強い風が登高意欲を萎えさせる。 少し離れたテントにいる倉岡さんから出発時間などについて打診がなかったが、天気予報を確認しながら風が吹きやむのを待っていると理解するしかなかった。 8時を過ぎるとテンジンがテントに来たので、シェルパ達が持っている天気の情報について聞いてみると、今日はまずまずの天気だが、明日は良くないとのことだった。

   9時を過ぎても強い風は一向に収まる気配はなく、倉岡さんから未だに何も指示がなかったので、明日の天気予報が再び悪い方に転がり、もう時間的にもC.3には行かずに、風が収まるのを待ってA.B.Cに下るのではないかとさえ思えた。 ここで敗退するのはあまりにも残念だが、この強風の中をデスゾーン(8000m)を超えてC.3まで休まずに登り続ける自信はないし、仮にギリギリ登れたとしても消耗が酷くて明日のアタックに悪影響が出ることは必至だろう。 ましてや明日の天気予報も決して良くないようなので、どれを取っても登頂の可能性は低く、逆に遭難や事故の可能性が高まるので、登頂への未練よりも下山したい気持ちが時間の経過と共に強まってきた。 10時になってようやくミンマがテントに来たが、意外にも11時に出発するので準備をするようにということだった。 すでに準備は出来ていたが、むしろ準備が必要だったのは下山に向いていた気持ちをもう一度奮い立たせて山頂に向かわせることだった。


C.2のテントサイト


隣のシェルパ達のテント


C.2から見たC.1方面


テントの中で強風が吹き止むのを待つ


10時にミンマがテントに来て11時に出発することを伝えられた


   意を決して11時半にテントから這い出し、下のテントから登ってくる倉岡さんと進藤さんを待ったが、結局出発したのは正午前になっていた。 倉岡さんから「登頂の可能性は低いが、C.3に行かないと登頂は出来ないので、とりあえずC.3に向かいます」というシンプルな説明があった。 今朝から今までの経緯についてもっと知りたかったが、今はそれを聞いている場合ではない。 むしろその発言で倉岡さんの今の心境が分かったような気がした。 風の強さも影響し、ザレた岩場に張られたフィックスロープは登りにくく、今日も酸素マスクの上から漏れる空気との温度差でサングラスが曇ってしまい視界が悪い。 雪の上ではそれほど問題ないが、ザレた岩場では足の置き場に正確性が求められるため、思わぬ苦労を強いられた。 酸素を毎分2.5L吸っているので、7時間以内にC.3に着かなければならない。 強い風は弱まる気配は全くなく、写真を撮ることもままならず、足元に注意を払いながら登ることだけに集中する。 風は爆風だった昨日よりは弱いが、高度が増すにつれてその脅威は増してくる。


意を決して11時半にテントから這い出す


C.2から見たA.B.C(中央)


正午前にC.2を出発する


   無我夢中でC.2から1時間ほど登り続けると、フィックスロープを外れて休める所があり、風を背にして座り込む。 意外にもエベレストに9回登頂し、そのうちの5回をチベット側から登っている倉岡さんが、チベット側からは初めて登るミンマに今後の動向についてのアドバイスを求めた。 ミンマは「相当厳しいです」と一言だけ倉岡さんに答えると、すかさずB.Cのカーリーに無線で連絡を入れ、途中から倉岡さんが代わった。 長い無線でのやりとりが終わると、倉岡さんから「残念ですが、今回はここで引き返すことにします」というシンプルな説明があった。 理由は聞かなくても分かっているので、私を含めてメンバー一同この決断に対して意見を言う人はいなかった。 最終到達地点となった所の標高は、鈴木さんのGPSで7750mだった。


強風が吹き止まずC.2の上部で進退について倉岡さんの判断を待つ


B.Cのカーリーと長い無線でのやりとりが続いた


C.2の上部(7750m)で登頂を断念して下山する


   記念写真を撮らせてもらい、1時半にA.B.Cへの下山を開始する。 C.2のテントサイトを通過し、昨日風が急に強まった7500m付近の氷河との境を通過すると、ようやく風が弱くなってきた。 フィックスロープの切り替え地点で何度か休憩しながら、後ろ髪を引かれる思いで4時半過ぎにC.1に着いた。 C.1のテントサイトには風がなく、しばらくすると寒々しい雲が纏わりついた山頂が見えてきた。


C.2からC.1へ


C.2からC.1へ


C.2からC.1へ


C.2からC.1へ


4時半過ぎにC.1に着いた


C.1から見たエベレストの山頂(右)


   酸素ボンベを交換しながら30分ほどゆっくり休憩し、5時半前にA.B.Cに向けて出発する。 C.1からの下りは傾斜がそれほど急ではなくトレースも残っていたのでアームラップで下りられ、懸垂で下りた所は僅か1か所だけだった。 C.1から1時間ほどでフィックスロープの取り付きまで下り、デポしたストックをピクアップして黄昏の雪原を黙々と歩く。 緊張感から解放されると、敗退したという現実に引き戻されて足取りは重くなった。


C.1で酸素ボンベを交換しながら30分ほどゆっくり休憩する


C.1からA.B.Cへ


C.1からA.B.Cへ


C.1からA.B.Cへ


C.1からA.B.Cへ


C.1からA.B.Cへ


C.1からA.B.Cへ


   間もなく前方から人影が近づいてきた。 それはティーポットと食料や飲み物を携えて私達と後続のシェルパ達を迎えにきてくれたタシだった。 タシが運んできてくれたコーラを一気に飲み干し、ポテトチップを頬張った。 さらに前進するタシと別れ、敗残兵のような歩みを続ける。 クランポン・ポイントで日没となり、ヘッドランプを灯して歩く。 振り返ると、幾つものヘッドランプの灯りがC.2からC.1に向かって下っていくのが見えた。 彼らは勝ち組で私達は負け組だ。

   9時前に静かなA.B.Cのテントサイトに到着。 憧れのエベレストへのチャレンジは終わった。 しばらくは放心状態で着替えをする気力もなく、ダイニングテントの椅子に座ったまま動けなかった。 間もなくアンプルバが夕食のカレーを運んできてくれた。 夕食後に個人用テントに入ると再び悔しさがこみ上げ、疲れているにもかかわらず眠ることが出来なかった。


タシがティーポットと食料や飲み物を携えて私達を迎えにきてくれた


クランポン・ポイントで日没となり、ヘッドランプを灯して歩く


9時前にA.B.Cに着く


しばらくは放心状態でダイニングテントの椅子に座ったまま動けなかった


夕食の和風カレー


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