《 5月22日 》

C.1(7050m) 〜 C.2(7650m)

   5月22日、睡眠酸素を毎分1L吸って寝たため夜中に頭痛はなく、起床後のSPO2と脈拍は80と70だった。 体調はなぜか今までになく良い。 テントサイトにはA.B.Cと同じように6時半に陽が当たった。 いつものように鼻詰まりがあったが、テルモスの蓋に入れたお湯で鼻を洗って鼻糞を取った。 朝食はレトルトのカレーとフリーズドライの五目飯で、体調が良く食欲があったので無理なく完食できた。


体調はなぜか今までになく良かった


朝食のレトルトのカレーとフリーズドライの五目飯


サーダーのミンマ・テンジン・ギャルツェン(左から)


C.1から見たエベレストの山頂(右)


   9時半過ぎにC.1を出発。 明瞭なトレースと先行パーティーの人影でC.2までのルートが良く分かる。 酸素のスケジュールはC.2まで毎分2.5Lを吸うことになっていたが、傾斜が緩やかで登り易そうだったので、とりあえず最初は毎分2Lで登ることになった。 山頂付近には雪煙が舞っていたが、C.1付近には風が全く無かったので、厚いダウンジャケットの下はアンダーシャツだけにした。 C.1のすぐ先のノースコルまで少し下り、コルからはフィックスロープが要らないような緩やかなスロープを登っていく。 風が少し吹いてきたが、暑さに苛まれずにちょうど良い。 傾斜がやや急な所では階段状のトレースが一段と明瞭になるため登り易い。 2回目の休憩ポイントを過ぎると手先の指が冷たくなり、明らかに酸素が欠乏してきたので毎分2.5Lに増やした。

   C.1から3時間ほど登った辺りから、頭上にC.2のテントサイトが良く見えるようになり、今日は昨日以上に楽にC.2に着けると思ったのも束の間、次の休憩ポイントと思われる場所に近づくと突然強い風が吹き始めた。 氷河が途切れた先の岩稜を少し登ればC.2は近く、強い風も収まってくるだろうと期待したが、岩稜地帯に入っても強風は一向に収まらず、それどころかますます強くなり、爆風と呼べるほどの風になってしまった。 C.1を出発した時は暑さに苛まれることを危惧していたが、今は冷たい風で身の危険さえ感じる。 もちろん休憩することもままならない。 この山は高さのみならず気象の変化も世界一だった。 C.2直下からは雪が全く無くなり、細かい石が混じった登りにくい岩場となった。 酸素マスクの上から漏れる空気との温度差でサングラスが曇ってしまい、視界が殆ど遮られてしまったが、為す術もなく我慢して登り続けた。


9時半過ぎにC.1を出発する


C.1からC.2へ


C.1の背後に聳えるチャンツェ(7583m)


C.1からC.2へ


C.1からC.2へ


C.1とC.2の間から見たC.2


   2時半に岩場にへばりつくように設営されたC.2(7650m)のテントサイトに着いたが、アイゼンを外すことも出来ない状態で傾いたテントの中に転がり込む。 しばらくは何もすることが出来ず、呆然としたままテントの縁に座り込んだ。 テントに入ってからも強風は収まらなかったが、ようやく気持ちや呼吸が落ち着いてきたので、アイゼンや靴を脱いでテントの中に入り、エアーマットの下に靴や食料の入った袋を入れて傾いたテントの床を平らに均す。 テントを叩く風の音や圧力は一向に衰えず辟易するが、淡々と少しずつ身の回りの整理をする。 残っている酸素を毎分1.5Lに減らして吸い続けたのでSPO2は依然として90台だったが、脈拍は水分不足もあって平脈の2倍の100を超えていた。


アイゼンを外すことも出来ない状態で傾いたテントの中に転がり込んだ


しばらくは何もすることが出来ず、呆然としたままテントの縁に座り込んだ


   夕方になるとようやく風が少し収まってきたが、今度は雪が降ってきた。 お湯は今日もシェルパ達が作ってくれたが、頼んでも昨日のようにすぐには出来ない。 夕食は昨日と同じレトルトのカレーとフリーズドライの白米だ。 8000m近い高度にもかかわらず、酸素のおかげで依然として食欲は落ちずに美味しく食べられた。 夕食後しばらくすると嘘のように風が止み、鈴木さんのiPhoneが辛うじて繋がった。 鈴木さんが天気予報をチェックすると、明日の23日の方が24日よりも風が弱い予報になっていたので、今晩これからアタックするヨーロッパ隊や平岡隊が羨ましく思えた。 風が無くなって静かになったので、7700m近い高度でも毎分1Lの酸素で心地良く眠れた。


夕食後にようやく強風が収まった


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エベレスト