《 5月26日 》

   B.C(5150m) ⇒ ティンリ(4320m) ⇒ キーロン(2800m) ⇒ シャブルベンシ(1700m) ⇒ カトマンドゥ(1350m)

   5月26日、意外にも予想に反して中国(チベット)登山協会の送迎車は約束した4時少し前にB.Cのテントサイトに迎えに来た。 アンプルバに見送られ、もう二度と訪れることはないB.Cに別れを告げ、ロンボク寺・タシゾンを経てパン・ラ(峠)への九十九折れの道を進む。 峠からは往路では全く見えなかったエベレストやチョ・オユー、そしてマカルーなどが良く見えた。 峠から同じように九十九折れの道を下り、国立公園の入口のゲートの先のT字路をティンリを目指して左に曲がる(右はシガール)。 昨夜の睡眠不足でしばらく眠ってしまったが、懐かしいティンリの町の直前で目が覚めた。 ティンリからもチョ・オユーが良く見えた。


B.Cからカトマンドゥへ


未明にB.Cを出発する


アンプルバに見送られB.Cに別れを告げる


パン・ラ(峠)の手前から見たチョ・オユー(右)とギャチュンカン(左)


パン・ラ(峠)


パン・ラ(峠)から見たエベレスト


パン・ラ(峠)から見たマカルー


ティンリから見たチョ・オユー


   ティンリからは国道219号線を西へ西へと進む。 行き交う車は少なくなるが道路の状態は良い。 ティンリから先には道路上に監視カメラがなくなり、どんどんキーロンへの距離を稼ぐ。 間もなく車窓からシシャパンマ(8013m)が良く見えるようになった。 ペンクンツォという大きな湖が見えてくると再び5000m台の峠への九十九折れの道となる。 5230mのグンタン・ラ(峠)では停まることなくキーロンに向けて下り始めると、ネパール側の山々の連なりが見えてきた。 峠を下りきった所に小さな町の検問所があった。 ここがキーロンかと思ったが、さらに坂を下り続けるとやや大きなキーロンの町に着き、ネパールへの入国をアシストしてくれるチベット登山協会のドルジをピックアップする。 ドルジは元シェルパで、エベレストの登山経験もあるという。 キーロンから少し先で最後の検問所があり、更に下っていくとネパールとの国境に建つ大きな出入国管理事務所(税関)に着いた。 税関の建物は新しく、空港と同じようなX線の機器での荷物の検査があった。

   通関が終るとネパールとの国境の川を渡り、渡り終えた先でネパールの軍人にパスポートを見せて入国する。 ネパール側には中国への入国を待つトラックの長蛇の列が出来ていた。 中国とネパールの国力の差があらためて良く分かる。 ヘリポートのあるシャブルベンシまでは四駆の車で30分以上川沿いの未舗装の悪路を走り、その途中にある小さな建物で入国審査があり、2週間で25ドルの観光ビザを取得する。


国道219号線から見たシシャパンマ


国道219号線から見たカンペンチン


国道219号線から見たペンクンツォ湖


5230mのグンタン・ラ(峠)


キーロンの入口


キーロンの市街地


中国とネパールの国境の出入国管理事務所(税関)


国境からシャブルベンシへ


   ランタン谷への入口でもあるシャブルベンシは予想以上に小さな町で、ヘリポートの傍らのロッジでビールなどを飲みながら2時に予約したヘリの到着を待つ。 ヘリはほぼ時間どおりに来て、僅か20分ほどのフライトでカトマンドゥの空港に着いた。 空港ではいつものようにスバシが迎えてくれた。 カトマンドゥはもう雨期が近づいているので蒸し暑かった。 当初からの計画どおりだったが、5150mのチベット側のB.Cからヒマラヤの山を越えて1350mのカトマンドゥまで僅か12時間足らずで着いたことが本当に不思議に思えた。 尚、ヘリのチャーター料は15万円とのことだった。


ランタン谷への入口でもあるシャブルベンシ


ヘリポートの傍らのロッジでヘリの到着を待つ


シャブルベンシからヘリでカトマンドゥへ


カトマンドゥの市街


僅か20分ほどのフライトでカトマンドゥの空港に着く


   今日から2泊する五ツ星のホテル『ハイアット・リージェンシー』に着くと、一日違いでB.Cから同じルートを辿ってきたトレッキングチームを引率する貫田さんが迎えてくれた。 シャワーを浴びてから、間もなく帰国するトレッキングチームとホテルのテラスで歓談する。 トレッキングチームを見送ってから、あらためてホテル内のイタリアンの店で登山終了の杯を上げた。


五ツ星のホテル『ハイアット・リージェンシー』


ホテルで貫田さんに迎えられる


ホテルの室内


ホテル内のイタリアンの店


ラムステーキ


ティラミス


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エベレスト