《 4月21日 》

B.C(5150m)

   4月21日、テントサイトは5時半頃から明るくなり7時に起床する。 昨夜はずっとオン・デマンド方式による酸素を毎分0.5L吸って寝たので、頭痛などは微塵もなかったが、吸気音が予想外にうるさく、殆ど寝ることができなかった。 それでも酸素の効果は絶大で、起床前のSPO2と脈拍は94と53で、平地並みになっていたことに驚いた。 もちろん、体調は昨日の朝以上に良い。 電気ストーブで部屋を暖めてから準備体操をする。 7時半にキッチンスタッフが大きな洗面器に温かいお湯を届けてくれた。 本当にここが5150mの僻地かと錯覚を覚える。

   毎日8時からと決まった朝食に部屋から出ると快晴の天気で、青空を背景に雪煙のたなびくエベレストが良く見えた。 30mほど離れたダイニングテント(ルーム)に歩いていくと、昨年のアマ・ダブラムで会ったK&P社の社長兼ガイドのアンドレアスと再会した。 アンドレアスは今回ヨーロッパ人を中心としたメンバーの隊を率いるとのことだった。

   朝食はパンとお粥に卵焼き・ランチョンミート・青菜などで、どれも町のホテルと変わらない。 もちろん食欲は旺盛で、控えめに食べるのに苦労する。 今日は一日中レストなので、部屋の中で色々な雑務をこなしながら寛ぐ。 陽が差している時間帯では室温は20度以上あるので寒さは微塵もない。 ミンマが机を用意してくれたので、ダイニングルームに行かなくても部屋の中でデスクワークが出来るようになった。 毎日1時からと決まった昼食は予想どおりの日本蕎麦で、汁にはどんこが一杯入っていた。


オン・デマンド方式による酸素を毎分0.5L吸って寝た


朝のエベレスト


K&P社の社長兼ガイドのアンドレアスと再会する


朝食のパン


部屋に机が備わった


昼食の日本蕎麦


   午後は部屋の模様替えなどをしてから広いB.Cの中を少し散策してみた。 倉岡さんの話では各隊のテントサイトの場所には暗黙の了解があるようで、最大手のラッセルブライス隊がチベット側に来なくなってからはライバルのK&P社がその跡地を使い、地元の中国隊がA.B.Cに一番近い所、セブンサミッツクラブのロシア隊がK&P社と中国隊の間くらい、その他の小さな隊はこれらの大きな隊から少し離れた場所に固まって居を構えているとのことだった。 先にB.C入りしていたガイドの平岡さんの隊のテントサイトまで行ってみたが、早くもA.B.Cへの順応に行ったようで、付近に人影は見られなかった。

   夕方からは天気が悪くなり小雪が舞ったが、夕食前には晴れてエベレストの山頂が良く見えた。 夕食は鶏肉の唐揚げをメインに、鶏肉やキノコを蒸した料理や青菜などで、体調が良く食欲も旺盛だったので美味しく食べられた。 夕食後にカーリーが私達の体調を気遣ってダイニングルームに遊びにきてくれた。 就寝前のSPO2と脈拍は85と63で体調どおりの数値だった。


K&P社のテントサイト


中国隊のテントサイト(左奥)とロシア隊のテントサイト(右)


その他の小さな隊のテントサイト


夕方のエベレスト


夕食後にカーリーがダイニングルームに遊びにきた


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エベレスト