《 10月28日 》

B.C( 4 6 0 0 m )

   10月28日、ここ数日朝の気温が低くなってきたため、キッチンボーイが個人用テントに届けてくれるお湯のサービスがありがたい。 起床後のSPO2は89、脈拍は59で、昨夜のお腹の不調もだいぶ良くなった。 今日は同じエージェントのアメリカ隊との合同のプジャ(祈祷)だ。

   朝食後に下山するスイス隊がスタッフ達にチップを手渡すセレモニーに立ち会う。 スイス隊が出発していくのを見送ってから、ウォンチューと明日以降の日程などについて打ち合わせをする。 昨夜の天気予報では11月2日は降雪の可能性があるため、ルートがベストな状態に保たれている前日の1日までに登頂することが決まった。 プジャの前にカメラのバッテリーを交換すると、感度の設定がオートではなく、一番高い数値になっていたことに気が付いて愕然とした。 新しいカメラは液晶の輝度が高いため今まで気が付かなかった。 これまでに撮った写真は大半が駄目になっているだろうが、アタックに向けて間に合ったことが幸いだ。        

   間もなくパンボチェから来たラマ僧によるプジャが始まり、テントサイトの傍らに石を積み上げて造った祭壇の周りにピッケルやアイゼンなどの登攀具を置き、一緒にラマ僧に祈祷してもらう。 座っていると体が冷えてくるので、時々動き回りながら写真を撮る。 プジャが終盤を迎えると、スタッフ達がいつものように祭壇の四方にタルチョを張り巡らし、掛け声に合わせて皆で一斉にお米を空に向けて放り投げる。 お供えのお菓子やお酒がふるまわれ、御守りの赤い紐を一人一人ラマ僧に首に結んでもらう。 最後はツァンパ(小麦粉)を顔に塗り合ってプジャは終わった。


スイス隊がスタッフ達にチップを手渡すセレモニーに立ち会う


下山するスイス隊を見送る


同じエージェントのアメリカ隊と合同でプジャを行う


スタッフ達が祭壇の四方にタルチョを張り巡らす


御守りの赤い紐を一人一人ラマ僧に首に結んでもらう


ツァンパ(小麦粉)を顔に塗り合ってプジャが終わる


アメリカ隊


   昼食は野菜の天ぷらうどんとフライドチキンで、冷えた体がすぐに暖まった。 昼食後に倉岡さんが最新の天気予報を確認すると、登頂日(サミット・ディ)として理想的な11月1日は天気は良いが風が強いという予報は変わらなかったので、天気が良くて風が弱い10月31日を登頂日とすることに決め、明日B.Cを発つことになった。 

   午後は装備品の最終チェックを行い、アタック時の服装と装備でテントの周りを歩いたり、日本から持参した行動食のパッキングなどをした。 上部キャンプでの朝食と夕食については、意外にも全てフリーズドライの白米とレトルトのカレーということだった。 

   夕食前に倉岡さんから衛星電話を借りて妻に電話を入れ、明日からのスケジュールを伝えたが、喉に僅かな違和感があった。 夕食は焼き鳥と和風のカレーなどだった。 夕食後にウォンチューから、私達と同じ31日を登頂日としている隊が多く、各隊とのスケジュールの調整上C.2のテントの確保が難しいため、最終キャンプ地をC.3にしたいという提案があった。 ウォンチューにC.1から先のルートの難易度を聞くと、C.1からC.2の間は雪が全くないため、テクニカルだが2時間ほどで、C.2からC.3の間はC.1からC.2の間よりも易しく4時間ほどで、C.3から山頂の間が一番易しく4時間ほどで着くとのことだった。 早めに就寝して寝袋に入ると、喉の違和感は痛みにも似た渇きに変わってしまった。


昼食の野菜の天ぷらうどん


上部キャンプで食べるレトルトのカレー


夕食の焼き鳥


夕食の和風のカレー


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アマ・ダブラム