《 10月26日 》

B.C( 4 6 0 0 m ) 〜 高所順応( 5 0 0 0 m ) 〜 B.C( 4 6 0 0 m )

   10月26日、昨日は一時的に天気が崩れたが、今日は朝から快晴の天気だ。 放射冷却でテント内の室温は1℃しかなかった。 夜中はトイレで2回起きたが頭痛は全くなく、起床前のSPO2は83、脈拍は51で脈拍は平脈となった。 鼻水が少し出るが体調はすこぶる良い。 朝食は日本にいる時よりも明らかに多く食べている感じだ。 

   午前中は順応のため、倉岡さんとC.1方面に散歩に出掛ける。 風が殆どない絶好の登山日和だ。 5年前は雪の中のトレースをダブルの高所靴を履いて登ったが、今日はシングルブーツなので比べものにならないほど楽だ。 当時と雰囲気は全く違うがルートの記憶は新しく、30分ほどでB.Cを見下ろす勾配の緩い支尾根に上がると、カンテガの眺めが一層良くなった。 背後にタウツェ、そして左手にアマ・ダブラムを仰ぎ見ながらスローペースで登っていくと、他隊のシェルパのタシとすれ違った。 5年前にアマ・ダブラムで一緒だったタシも私のことを覚えていてくれた。 その直後にスイス隊の3人が意気揚々と下ってきたので、登頂のお祝いの言葉を掛けた。 スイス隊のガイドはアンドレアスという名前で倉岡さんの友人ということだった。 

   支尾根の勾配は眼前のアマ・ダブラムとは対照的に終始とても緩やかで、順応のための散歩には最適だ。 後方のタウツェの右奥にチョ・オユーやギャチュンカンが見えるようになった。 前方に幾つかのケルンが並んで見えるようになると間もなくタルチョが張られた5000m地点に着いた。 体調はとても良く、このままC.1まで行けそうな感じがした。 ここから先は一旦緩やかに下り、右にトラバースしながらC.1に突き上げる尾根に上がるルートが良く見えた。 相変らず快晴無風の天気は続き、帰路もスローペースで正午にB.Cに戻った。

 

朝食の梅干しと野菜炒め


コックのアンプルバ


C.1方面に散歩に出掛ける


5年前は雪の中のトレースをダブルの高所靴を履いて登った  (2013年10月撮影)


支尾根から見たカンテガ(中央)


支尾根から見たアマ・ダブラム


5年前にアマ・ダブラムで一緒だったタシと出会う


登頂したスイス隊の3人と出会う


支尾根の勾配は終始とても緩やかだった


5000m地点の手前から見たチョ・オユー(左) ・ ギャチュンカン(中央) ・ プモ・リ(右)


5000m地点から見たアマ・ダブラム


5000m地点から見たタウツェ


5000m地点から先のルートが良く見えた


   昼食は手巻き寿司と鶏肉の唐揚げなどで、スイス隊と一緒の賑やかな食事となった。 登頂した男女のメンバーはいずれもスイス人で、男性がマルクス、女性はマルティーナという名前だった。 マルクスは自動車関連のエンジニアでマルティーナは整体師とのこと。 ガイドのアンドレアスの話では、昨日のアタックは零時にC.2を出発して登頂は8時、風が強く山頂には数分しかいられず、下山はC.2まで4時間掛かったとのことだった。 また、前日のC.1からC.2へは4時間で、フィックスロープが新しく信頼できるとのことだった。 マルクスの話では、アタック日は急斜面が延々と続き、山頂までとても長く感じたとのことだった。

   昼食後にウォンチューから、プジャ(祈祷)をアメリカ隊と合同で明後日行うと伝えられたので、倉岡さんが日本にいる貫田さんを介して天気予報を確認すると、11月1日以降はしばらく風が強い状況が続くということで、とりあえず明日は予定どおりC.1手前のヤクキャンプ(5400m)までの順応を行い、予報が変わらなければ明後日のプジャの翌日からアタックを開始し、最短で10月31日の登頂を目指すことになった。 夕食は揚げ出し豆腐や野菜炒めなどだったが、スイス隊のパスタなどとシェアしながら食べた。 食後のデザートはもちろんスイス隊の登頂ケーキだ。


昼食はスイス隊と一緒の賑やかな食事となった


昼食の鶏肉の唐揚げ


スイス隊の夕食のパスタ


夕食はスイス隊とシェアしながら食べた


スイス隊の登頂ケーキ


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アマ・ダブラム