《 10月25日 》

B.C( 4 6 0 0 m )

   10月25日、夜中はトイレで3回起きたが意外にも頭痛は全くなく、軽い動悸がしただけだった。 過去の高所登山ではB.C入りした初日の夜に頭痛が全くなかったことはなく、今回のようにスローペースでの順応方法が正しいことがあらためて証明された。 起床前のSPO2は79、脈拍は61、起床後は82と62で数値はそれほど良くないが、体感的な高度障害は一切なかった。 7時半にテントサイトに朝陽が当たるようになると、キッチンボーイのラクパが洗面器に入ったお湯をテントに届けてくれた。 顔ではなく足をお湯に浸すと体がポカポカ暖まってきた。 朝食は意外にもご飯の代わりに磯部巻き餅が出てきたので驚いた。 退屈なB.C生活だが、これからは毎回の食事が楽しみだ。 今日は予定どおり休養日ということで、午前中はB.C内の散歩や読書をして過ごす。 意外にもB.Cには携帯の電波が届かず、倉岡さんから衛星電話を借りて妻に電話を入れた。 昼食はスープ代わりのララ・ヌードル、鶏肉と筍の煮物、野菜炒めで、スイス隊のほうれん草のパスタも味見した。


7時半にテントサイトに朝陽が当たる


朝食の磯部巻き餅


スイス隊のイングリッド


昼食のララ・ヌードル


   昼食後に倉岡さんからアタックステージでのタクティクスについて、今シーズンは前回とは全く正反対に雪が少なく、C.1での宿泊及びC.1からC.2.7の間の行動で使う水をB.Cからシェルパがボッカしなければならないため、順応でC.1に泊まることをやめ、その代りにC.1の睡眠から酸素を吸い、C.1から先は酸素を吸ってC.3まで行き、C.3からアタックすることを検討しているという話があった。 酸素ボンベはC.2.7での睡眠用に1本しか用意していないので、新たに2本のボンベを1,000ドルで購入しなければならないが、ボンベはB.Cに予備が5本あるとのことだった。 午後は小雪が舞っていたが、気密性の高いダイニングテントの中はガスストーブで暖かかったので、読書をしたり来年以降の山の計画をしたりして過ごした。

   夕食は蒸した餃子(モモ)と野菜炒め、フライドポテトなど。 もちろんデザートもあった。 夕食後は倉岡さんが先ほどのタクティクスをウォンチュー達に伝えたところ、アメリカ隊との合同のプジャの日程があるので、登頂日は早くて11月4日になるのではないかとのことだった。 ウォンチューから、劣悪なC.2の環境は今シーズンはとても良く、すでに8〜9張のテントが設置され、うち2張は同じエージェントのアメリカ隊とシェア出来るという話しがあった。 体調はとても良く食欲が旺盛で、夕食後も備え付けのビスケットを食べてしまった。


ダイニングテントのガスストーブ


夕食の前菜のえびせん


夕食のモモ(蒸し餃子)


シェルパのウォンチュー(右)とゲル(左)


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アマ・ダブラム