《 10月23日 》

パンボチェ( 3 9 3 0 m ) 〜 高所順応( 4 6 0 0 m ) 〜 パンボチェ( 3 9 3 0 m )

   10月23日、今朝も快晴の天気で放射冷却となり寒い。 夜中はベッドが狭くて床に落ちてしまい、昨日までが恵まれ過ぎていたことに笑えた。 標高は4000m近くになったが、起床前のSPO2は84、脈拍は54で起床後も90と56で体調は万全だ。 7時半に陽が当たり始めると劇的に暖かくなった。 朝食はシェルパシチューで体が温まった。 今日は順応のためここに滞在し、午前中にロッジの裏山をB.Cと同じ標高(4600m)まで登る予定だ。 朝食の後、パンボチェの隣のショマレに住んでいるもう一人のシェルパのウォンチューがロッジに現れた。 年齢は40歳くらいで、実質的なサーダーだ。 今日はこの辺りの地理に詳しいウォンチューが飛び入りで道案内をするとのことだった。


パンボチェのロッジから見たカンテガ(左)とタムセルク(右)


パンボチェのロッジから見たタウツェ


パンボチェのロッジから見たローツェ(右)とヌプツェ(中央)


シェルパのウォンチュー


   9時過ぎに4人でロッジを出発。 今日は風が強いとのことで、ケルンが立つ尾根上の踏み跡は辿らず、風の弱いやや急な草付の斜面をジグザグに登る。 順応目的なので登るペースはゆっくりだ。 眼前にはアマ・ダブラムがすっきりと望まれ、B.CはもちろんC.1・C.2・C.3などの上部キャンプの位置が良く分った。 5年前に登ったアイランド・ピークも見えて懐かしかった。 途中何度も休憩しながら2時間半ほどでB.Cと同じ標高まで登ると、天気はここ数日と同じように早くも下り坂となり、エベレストも見えなくなってしまった。 ウォンチューと行動するのはB.C以降からなので、今日はお役御免ということで、再会を約して登ってきたルートを颯爽と下って行った。 陽射しも弱くなってしまったので、私達もあまり長居せずに下山する。 下山はゲルの先導でケルンが立つ尾根上の踏み跡を下った。 昼食は体が暖まるララ・ヌードル(インスタントラーメン)をスープ代わりに食べ、午後はシャワーを浴びてから夕方まで読書と昼寝をして過ごした。 

   先ほどウォンチューから聞いた話では、すでにC.2には同じエージェントの他隊とシェアするテントが設営してあり、そこからアタックするのが今シーズンはベストであるということだったが、私達は最終キャンプ地をC.2.7に予定していたので、今後はその辺りのタクティクスをウォンチューと協議しながら酸素の本数を含め再検討する必要があると思われた。


ロッジの裏山をウォンチューの案内で登る


パンボチェの裏山から見たアマ・ダブラム


順応目的なので途中で何度も休憩する


ロッジから2時間半ほどでB.Cと同じ標高の4600mまで登った


昼食のララ・ヌードル


ロッジのシャワールーム


夕食の揚げ餃子(フライド・モモ)


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アマ・ダブラム