《 9月11日 》

ティンリ ( 4 3 2 0 m ) ⇒ B.C ( 4 9 0 0 m )

   9月11日、7時に起床。 今日も天気はあまり良くなさそうで、室温は18度だった。 昨夜はチベットに来てから初めて夜中に頭痛や下痢で目が覚めることがなかった。 起床後のSPO2と脈拍は91と57で、数値どおり体調も良かった。 今日からいよいよB.C入りとなるが、最低限度の順応が出来て良かった。 

   朝食後にゆっくり荷物をまとめ、11時前にリエゾンの車でホテルを出発。 倉岡さんはB.Cに羊一頭を持っていくようだ。 車内で時計を2時間15分遅らせ、北京時間からネパール時間に合わせる。 ホテルから目と鼻の先の未舗装の道に入ると舗装工事の準備が行われており、道路脇には沢山の作業員の姿が見られた。 道路は未舗装ながらもすでに整地は終わっていたので、60キロくらいのスピードで走っても全く快適だ。 少し蛇行している旧道に沿って舗装工事中の新しい道路が山に向かって真っ直ぐに延びていた。 1〜2年後には舗装工事が終わり、B.Cまで行けるようになるのだろう。 途中にはセメントや骨材を作るプラントも見られた。 車は40分ほど勾配の殆ど無い平原を走ってから、緩やかなカーブを描いて徐々に高度を上げていくと、意外にもティンリから1時間で沢山のテントの花が咲く4900mのB.Cに着いてしまった。 B.Cから先へも同じ状態で道路が続いていた。


B.Cに持っていく羊の肉


リエゾンの車でB.Cに向かう


未舗装の道に入ると舗装工事の準備が行われており、道路脇には沢山の作業員の姿が見られた


B.Cに向かう車の車窓から見た氷河の山々


   道路脇にあるB.Cは、まるで工事現場の資材置場のような感じ(本当にそうかも知れない)で、車はテントのすぐ脇につけられ、一昨日からB.C入りしているスタッフ達が迎えてくれた。 B.Cは風が強くヤクの糞臭かったが、長いトレッキングの末に辿り着き、とても寒かったヒムルン・ヒマールのB.Cと比べたら天国だ。 キャンプ地の一番良い場所には中国人隊用の常設テントが見られた。 今日から利用する個人用テントに陸路で運ばれた荷物を搬入し、快適なダイニングテントで寛ぐ。 キッチンテントに行くと、以前の遠征で何度かお世話になったコックのドゥルゲの姿があり、私のことを良く覚えていてくれたので嬉しかった。 ドゥルゲ以外のキッチンスタッフは、タシとクゥンジョという二人のチベット人だった。 

   今日からは食事は基本的に和食となる。 昼食はオーブンで焼いた鶏肉と肉団子で味噌汁は赤だしだった。 ご飯も4900mの高度にしては良く炊けていて美味しかった。 B.Cまで車で入れるため、地元民が物売りにやってくるのが煩わしい。 乾燥がティンリよりも一段と進み、アレルギー反応で鼻水が出たり、鼻が詰まったりして不快だ。 サーダーのペンバとの協議でB.Cには今日から5泊することに決まった。

   夕食はマッシュルームのスープ、豚肉のすき焼き、茎野菜のゴマ和えに酢飯の混ぜご飯だった。 腹八分目にするつもりだったが、和食の懐かしさに負けてお腹一杯に食べてしまった。 夜になっても工事用の大型車両がテント場の脇を走っているので、B.Cにいるという感じが全くしない。 就寝前のSPO2と脈拍は84と67だった。 チャックが壊れた愛用のモンベルのシュラフに代えて、今回は新品のヴァランドレのシュラフを初めて使うことになった。


工事現場の資材置場のようなB.C


チベット人のキッチンスタッフのタシとクゥンジョ


以前の遠征で何度かお世話になったコックのドゥルゲと再会する


個人用テント


ダイニングテント


B.Cの脇の道路を通る工事用の大型車両


キャンプ地の一番良い場所には中国人隊用の常設テントが見られた


快適なダイニングテントで寛ぐ


夕食の豚肉のすき焼き


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