《 9月4日 》

カトマンドゥ ( 1 3 5 0 m ) ⇒ ラサ ( 3 6 5 0 m )

   9月4日、昨日からの雨がまだ降り続いていた。 今日はいよいよチベット(中国)のラサに向けて出発する。 隣国の中国へはまだ行ったことがなかったが、図らずも日本からではなくネパールから入国することになった。 これからは高所順応の日々となるので、朝食のバイキングをお腹一杯に食べた。 朝食後に近くのホテル『イエティー』に泊まっていた倉岡隊のメンバーがホテルのロビーに集まり、一緒にエージェントの車でトリブヴァン空港に向かう。 今日は女性だけのお祭りがあるようで、赤いサリーを纏った女性達が途中のパシュパティナートという寺院の前に大勢見られた。

   昨日は悪天候のためラサへの便が飛ばなかったようで、出発時間は1時間近く遅れて正午過ぎになった。 機材は中国国際航空の古いタイプのエアバスで、ヒマラヤの山々眺めるには都合が良い窓側の席に座ることが出来たが、あいにくの曇天のため山は見えず、チベットらしい荒涼とした大地と時折小さな雪山が眼下に望めただけだった。 機内の気圧は低めで、高度計の数字で常に2300mに保たれ(一般的な国際線では1500m程度)、ラサゴンカル国際空港に着く直前には3400mとなった。 飛行時間は意外と短く1時間20分ほどだった。 滑走路の脇には戦闘機が数十機置かれ、いかにも今の中国らしかった。

 

カトマンドゥからラサへ


朝食のバイキング


倉岡隊のメンバーと一緒にエージェントの車でトリブヴァン空港に向かう


赤いサリーを纏った女性達がパシュパティナートという寺院の前に大勢見られた


中国国際航空の古いタイプのエアバス


チベットらしい荒涼とした大地と時折小さな雪山が眼下に望めた


ラサの空港の滑走路の脇には戦闘機が数十機置かれていた


ゴンカル国際空港


   空港の到着ロビーにはリエゾンオフィサー(中国政府の連絡将校)のウドゥが出迎えてくれた。 この後ウドゥとはラサからB.Cの間で行動を共にすることになった。 空港からラサ市内への道路は自動車専用で、北京オリンピックの年に造られたものだという。 新しい高架の鉄道の線路も見られた。 走っている車はみな新しく、ネパールとは全く違う。 チベットというよりも完全に“中国”だ。 道路脇には人家は見られなかったが、牧場や広葉樹の植林が見られ、先ほど機上から見たチベットらしい風景ではなかった。 空港からは1時間ほどでラサ市内に入った。 ラサの新市街には高層ビルも多く見られ、ラサのシンボルとも言えるポタラ宮の周囲も普通の市街地となっていたのが意外だった。 

   リエゾンが指定したホテルはツインの一泊二食付きで一人当たり200ドルという高級宿で、ホテルのフロントの脇には医療用酸素器具が置かれた健康相談所があった。 今日からは柴田さんと一緒の部屋となり、同好の士との色々な話しが出来て良かった。 シャワー室はガラスでトイレと仕切られたタイプで、熱いお湯がいつでも潤沢に出た。 布団は羽毛布団だった。 

   夕食はホテルのレストランで中華料理を食べたが、高所に入ったので腹八分目にセーブしておいた。 味が辛いことを心配していたが、意外にも全く辛くなく、また薄味で良かった。 夕食後のSPO2(血中酸素飽和度)と脈拍は79と71で、さすがに高所に来たという感じがした。 柴田さんのGPSの標高は3650mとのことだった。 疲れていたのですぐに眠れたが、その後は1時間毎に頭痛で目が覚めた。 嫌な偏頭痛ではなかったので、あえて深呼吸はせずにそのまま眠り続けた。


空港からラサ市内への自動車専用道路


ラサ市内の入口の検問所


ラサの新市街の高層ビル


ラサのシンボルとも言えるポタラ宮


ラサで宿泊した高級ホテル


ホテルのロビー


ホテルの室内


夕食はホテルのレストランで中華料理を食べた


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