《 9月3日 》
カトマンドゥ ( 1 3 5 0 m )
9月3日、夜中は雨が降り今朝も曇っている。 昨日エージェントを通じて申請したビザの発給を待つため、今日も一日中カトマンドゥに滞在する。 7時に朝食を食べ、8時前にプジャ(祈祷)を受けるためタクシーでボダナートのゴンパ(チベット仏教の寺院)へ向かう。 途中の道路は地震の前よりも路上にゴミが少なくなり綺麗になったような気がした。 ボダナートのシンボルのストゥーパ(仏塔)の尖塔部は地震で壊れてしまったようで修理中だった。 ボダナートを散策しながら一緒にプジャを受けるシェルパ達を待っていると、今回登山隊をシェアする倉岡さんの隊のメンバーがシェルパ達と一緒に現れたが、意外にもその中に4年前にカトマンドゥで夕食を共にした五味さんの姿があったので驚いた。 倉岡隊の隊員も男性二人と女性一人で私達の隊と同じ男女比率だったが、意外にも8人中56歳の私が一番長老のようで、若返りした昨今の登山界の世相を反映しているかのようだった。 サーダーのペンバ・ギャルツェンは、3シーズン立山の剱御前小屋で働いた経験があるとのことで日本語は堪能だった。
大勢の修行僧が見られたゴンパ(僧院)でのプジャが終わると、その控室で今回お世話になる6人のシェルパの紹介があった。 一般的にシェルパはサーダーの兄弟や親戚ということが多いが、サーダーのペンバ・ギャルツェンとは初対面だったので、必然的に知っているシェルパはいなかった。 サーダー以外のシェルパの名前は、ペンバ・ヌル、ニマ・カンチャ、ニマ・ヌル、パサン、テンジンとのことだったが、毎度のことながらすぐに名前と顔は覚えられなかった。 陸路でチベットに入るシェルパ達とはここで別れ、サーダーのペンバや倉岡隊のメンバーとボダナートの敷地内の洒落た喫茶店でしばらく歓談した後、タクシーでタメルに行き、韓国料理店で焼肉などの昼食を食べた。 倉岡隊の隊員は長野の五味さんと羽山さん、東京の星野さんという方で、平均年齢は私達の隊より一回りほど若かった。 羽山さんとは2003年のアコンカグア登山の時にB.Cでお会いしていたことが分かり、あらためてこの世界の狭さを知った。
タメルからは歩いてホテルに戻り、陸路で運ぶ登山用品を青い樽に詰め込んでから、エアコンの効いた快適なホテルの部屋でのんびり過ごした。 夕食は柴田さんがタメルで見つけた日本料理店『一番』に行くつもりだったが、昼過ぎから降り始めた雨が止まなかったので、ホテルの近くの日本料理店『古都』で、定番のすき焼き定食を食べた。