《 8月8日 》
B.C(4050m)
8月8日、今日も陽が昇り周囲が明るくなった7時に起きる。 風が少し吹いているが、まずまずの良い天気だ。 ハン・テングリの山頂には雪煙が舞っている。 SPO2は93もあり、ようやくここにきて高所に順応したようだ。 体調も良いのでもう一度アタックしたいが、それはもう叶わない。 朝の食堂で隣に座った同じ境遇のフランス人からリンゴをいただき、しばし片言の英語で雑談を交わした。
朝食後は陽射しに恵まれたテントの傍らに座り、C.2からC.1の間を双眼鏡でつぶさに観察してみたが、我が隊の姿は見えず、8時半過ぎになってようやく田路さんと平岡さんらしき人影がC.2を出発するのが見えた。 午前中はモレーンの上を歩き回り、周囲の山々の写真を撮ったり双眼鏡で二人が下りてくる様子を覗いたりしながら過ごした。 意外にも昼前に一昨日ナカムラと共にC.1に向かったガイドのワディムが戻ってきた。 肺水腫になってしまったのか、酷く咳き込んでいていかにも具合が悪そうだった。 田路さん達は10時半前にはC.1に着いたが、テントの撤収に時間が掛かっているのか、C.1を発ったのは正午になっていた。 その後も再びゆっくり1時間半ほどを要して北イニルチェク氷河の取り付きに降り立ったが、この間ずっとその様子を双眼鏡で覗いていたので首が痛くなった。 正午過ぎに臨時便のへりが飛んできたが、もう入山者はいなかった。 明日も臨時便が出るらしく、運が良ければ明日にでもカルカラに帰れそうだった。
昼食を終えて食堂から出ると、ちょうど田路さんと平岡さん、そしてセルゲイとアンドリューの4人が無事帰ってきたところだった。 7泊8日となった長いアタックステージで疲れているだろうが、サミッター達の顏は皆キラキラと輝いていた。 メンバー全員が初登頂となったのでなおさらだろう。 田路さんも思っていたより元気そうで安堵した。 出迎えたボスのムハらと皆の登頂を祝福し、食堂で皆が遅い昼食を食べるのを見守りながら、さっそくアタック日の状況について話を伺う。 お二人の話によると、当日は今までになく冷え込みが厳しかったが、C.3でも未明から無風だったとのことだった。 私の予想よりも早く、2時に各隊のトップで登り始めたが、山頂に着いたのは12時間後の昼の2時、下りも登りと同じ時間を要したので、C.3に戻ったのは出発から24時間後の翌日の2時だったとのことで驚いた。 広い山頂は風が少し強かったが、それ以外は終始無風で天気は本当に良かったという。 2時に出発した直後に、上から下りてくるパーティーとすれ違ったとのことで、状況に応じてそのくらい無理をしないとこの山は登れないことがあらためて分かった。 一方、登頂後にC.3のテントに戻ると、何者かによって食糧が持ち去られ、C.2でも同じようにデポした食糧が無くなっており、セルゲイが各隊のテントを回って食べ物を調達してくれたとのことだった。 昨日イゴールが先に下山してきたのは、そのせいだったのかもしれない。 まだまだ聞きたいことは山ほどあったが、テントに戻り明日のフライトに備えて荷物のパッキングをした。
夕食時にはボスのムハがあらためて我が隊の登頂を、いつものように声高らかに褒め称えながら披露してくれた。 登頂祝いのケーキとウォッカが振る舞われ、食堂に居合わせたメンバー全員で田路さん達の登頂を祝った。 隣に座ったイラン隊の隊長から、来年はイランの最高峰のダマバントに登りに来ないかと誘われ、一同大いに盛り上がった。

















