《 7月31日 》

B.C(4050m)

   7月31日、7時に起床。 B.Cの周りの雪はすっかり溶けていた。 天気はまずまずだが雲が多く、相変らずすっきりしない天気だ。 昨夜は9時間以上寝てしまったせいか、起床後のSPO2と脈拍は91と68で脈が少し高かった。 B.C入りしてから10日も経つのに、まだ順応してないのが嫌になる。 体調は良く食欲は充分あるのが救いだ。

   9時前に久々にヘリが飛来し、氷河ハイキングツアーの日本人の団体客13人がAツアー社の添乗員と通訳を兼ねた現地のガイドと共にB.Cに着いた。 添乗員の久保さんは平岡さんが以前Aツアー社に勤めていた時の同僚とのことだった。 ツアーに参加されている方々の年齢層は高く、大半は辺境地を行き尽くされたような方々だった。

   アタックステージの準備も終わり、午前中はすることもなくなったので、近くのモレーンの上を1時間ほど散策する。 ハン・テングリ以外の山々は時々背景が天山ブルーになるが、ハン・テングリだけは終始すっきりとした青空は見られなかった。 昼食時には食堂テントに日本語が飛び交い、Aツアー社の久保さんから、カザフスタン周辺の国々の色々な情勢や情報を伺うことが出来て有意義だった。 

   昼過ぎになっても脈が66と高かったので、個人用テントで昼寝をしていると、セルゲイから8月3日と4日の天気が悪いという予報は変わらないが、5日と6日に天気が良くなるという予報が出たので、明日から7泊8日の日程で山に入り、天気の様子を窺いながら登頂を狙うという打診があった。 高所に弱い私にとって、今回のアタックステージはますますハードルが高くなってしまった。

   夕食はAツアー社がヘリで来たお蔭で、スイカやメロンなどのデザートが奢られ、昨日まで貧祖だった料理の食材も一気に豪華になった。 夕食後はセブンサミッターの田路さんがツアーの団体客から矢継ぎ早に質問をされていた。 個人用テントに戻ると、何かのアクシデントか、C.1とC.2の間で沢山のヘッドランプの灯りが揺れているのが見えた。 寝る前のSPO2と脈拍は90と60で、ようやく脈が下がった。


B.Cの周りの雪はすっかり溶けていた


日本人の氷河ハイキングツアーの団体客が添乗員と通訳を兼ねた現地のガイドと共にB.Cに着いた


氷河が溶けて傾いたテントの土台を直す


B.C近くのモレーンの上を1時間ほど散策する


モレーンの上から見たセメヨノーブ(5816m)(左)とアデンナツアーチ(5437m)(右)


モレーンの上から見たカーリィー・タウ(左端)


ハン・テングリだけは終始すっきりとした青空は見られなかった


昼食の前菜のポテトサラダ


夕食のメインディッシュには蒸かした蕎麦の実が添えられていた


ツアーの団体客から矢継ぎ早に質問をされる田路さん


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ハン・テングリ