《 7月20日 》

カルカラ(2200m) ⇒ B.C(4050m)

   7月20日、番犬のカーリーの鳴き声に合わせて6時に起床。 今日もまずまずの天気で安堵する。 起床後のSPO2と脈拍は93と53だった。 今日はここから国境を越えてキルギスに入国し、キルギス空軍のヘリでB.Cまで飛ぶことになっているため、朝食前にB.Cへ持っていく荷物と体重を測った。 朝食後は食堂で一昨日パスポートを預けたカザフスタンの兵士による出国手続が行われ、9時前にエージェントの車に乗ってキャンプ場を出発した。 車で数分の所に国境となっているカルカラ川に架かる古い橋があり、その手前で車から降りる。 橋の中ほどにはキルギス側の古いトラックが停まり、先に出発した他隊のパーティーの荷物を手渡しで積み込んでいた。 トラックは1台しかないようで、橋の手前で30分ほど待たされた。

   トラックがヘリポートを往復して戻ってきたので、荷物を積み込んでから歩いて橋を渡る。 橋の先にはジープに乗ったキルギスの制服の兵士がいて、今度はここで入国手続がありパスポートに検印された。 ここからは荷物と共にトラックの荷台に乗って数分先のヘリポートに向かう。 黄色いカマボコ型のテントが並ぶキルギス側のキャンプ場の先にあるヘリポートでは、大型の軍用ヘリへ前のパーティーの荷物が積み込まれていたが、荷物を積み込む前に再度計量が行われていた。

   10時にヘリに乗り込み、横向きのベンチシートに座ったが、10人ほどの乗客と荷物を満載したヘリの機内は足の踏み場もないほどだった。 ヘリはローターをしばらく回し続け、間もなくゆるりとヘリポートを飛び立った。 このヘリは週1〜2回の定期便で、毎日飛んでいる訳ではないらしい。 昨日遠くに眺めた3000m級の山々を越え、氷河から流れ出す川を横切ると、氷河の山々が眼下に望まれるようになった。 天山山脈のパノラマ・フライトに興奮しながら、小さな丸い窓から見える山々の写真を撮りまくったが、窓が汚れていたので上手くは撮れなかった。 飯塚さん夫妻も5年前に同じ風景を見たのだと思うと、感激もひとしおだった。 高度が5000m近くまで上がると、山々にかなり接近して飛ぶ所もあった。 ヘリは途中で進路を左に変え、幅の広い大きな北イニルチェク氷河を遡上しながら次第に高度を下げていった。 あいにくハン・テングリは反対側だったので機内からは見えなかった。 カマボコ型のテントが点在するキルギス側のB.Cが眼下に見えると、そこから1キロくらい先に私達が滞在するB.Cが見え、離陸してから40分ほどでB.C付近の平らな氷河の上にヘリは着陸した。

   ヘリを降りると、雲は多めながら初めて眼前にハン・テングリが見えた。 高度計の数字は3800mほどしかなく、氷河の上もカルカラと同様に予想以上に暖かかった。 ここから山頂までの標高差は3000mほどだが、最初の印象ではそれほど威圧感を感じなかった。 重い荷物を少し離れたモレーンの上に張られたテントに運ぶ。 色あせた家型のテントは木のスノコの上に置かれ、スノコの下に石を積み重ねて土台にしていた。 テントは二人用のため、私は平岡さんと一緒のテントになった。 テントが少し傾いていたので、平らな石を土台に積み増してスノコを水平にする工事を始めると、B.Cのスタッフ(後でガイドと分かった)達が手伝ってくれた。 

   B.Cでの昼食は2時と決まっているようで、鐘の音を合図に大きな食堂テントに行く。 詰めれば5人位が座れる細長いイスとテーブルが10組ほどある食堂には、登山客とスタッフが30人ほど集まってきた。 B.Cのマネージャーはルダという若い女性で、ロシア語や英語以外の言語も話せるようで通訳も兼ねていた。 また、管理人は通称ムハという年配で貫録のある人だったが、その言動がとても個性的なので、他のスタッフが一目置いている感じだった。

   昼食後は今日入山した私達のために、ルダからB.Cのスタッフやガイドの紹介、そして現在の山の状況などについての説明があった。 私達もフルネームを聞かれ、ルダはそれをノートに記入していた。 ルダから、現在20人位が上のキャンプ地にいるが、雪が多いので順応にはカーリィー・タウの方が良いというアドバイスがあり、急遽明日から当初の計画どおりカーリィー・タウに行くことになった。 

   テントに戻り、明日からのカーリィー・タウ登山のための準備をする。 当初は3泊4日で4800mのC.2に順応のために2泊することになっていたが、少しでも早くハン・テングリに取り付きたいということで、C.2での宿泊を1日減らして2泊3日で登ることになった。 B.Cには、いわゆるポーターという職種の人はおらず、ガイドがポーターの仕事をしていることが分かった。 ただ、ガイドはもともとポーターの仕事をしたことがないため、歩荷能力は予想以上に低く、特別に頼まなければネパールやペルーのように個人装備の荷上まではしてくれないようだった。 とりあえずカーリィー・タウには寝袋などの個人装備は全て自分で持っていくことになったが、35リッターのアタックザックへのパッキングには苦労した。 午後のSPO2と脈拍は87と72、8時からとなる夕食の後は83と76で、予想よりも少し良かった。


キャンプ場の番犬のカーリー


B.Cへ持っていく荷物と体重を測る


食堂でカザフスタンの兵士による出国手続が行われた


キャンプ場から車で数分の所にある国境となっているカルカラ川に架かる古い橋


荷物と共にトラックの荷台に乗って数分先のヘリポートに向かう


黄色いカマボコ型のテントが並ぶキルギス側のキャンプ場


キルギス空軍のヘリ


荷物を満載したヘリの機内は足の踏み場もなかった


機上から見た氷河の山々


機上から見た氷河の山々


機上から見た氷河の山々


機上から見た氷河の山々


機上から見た氷河の山々


機上から見た氷河の山々


機上から見た氷河の山々


機上から見たキルギス側のB.C


機上から見た氷河の山々


ヘリはB.C付近の平らな氷河の上に着陸した


重い荷物を少し離れたモレーンの上に張られたテントに運ぶ


B.Cの家型のテントは木のスノコの上に置かれていた


テントの寝室部分にはマットレスが敷かれていた


B.Cから見たハン・テングリ


B.Cから見たチャパエフ・ノース(6120m)


食堂テントの内部


氷河の水を沸かしたお湯が入ったタンク


昼食の馬肉


B.Cマネージャーのルダ、管理人のムハ、ガイドのセルゲイとイゴール(右から)


夕食のピラフ


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ハン・テングリ