《 7月18日 》

アルマトゥイ(800m) ⇒ カルカラ(2200m)

   7月18日、7時半に起床し1階のレストランに行くと、すでに他のメンバーは朝食を終えたところだった。 朝食のバイキングの内容は3ツ星と4ツ星の中間くらいだが、食材はあまり高級なものを使ってないように思えた。 ウェイトレスから、ロシア語の「ドーブラヤ・ウートラ」(日本語で、おはよう)はカザフスタン語では「カエルタン」、「ドーブラヤ・ビーチェル」(こんばんは)は「カエルキシュ」、「スパスィーバ」(ありがとう)は「セリメスエ」だと教えてもらった。 天気は良く、4階の部屋の窓から4千メートル級の山々の連なりが見えた。

   朝食後はホテルの周囲を少し散策する。 昨夜も蒸し暑かったが、今日も日向はすでに暑い。 ホテルからすぐの所に鉄道の駅があった。 大通りは片側4車線と道幅は広いが、それでも交通量は非常に多い。 日本車のみならずベンツやアウディといった高級車も目立つ。 交通渋滞を少しでも解消するためか、各信号機には残り時間を表示する電光掲示板が付いていた。 カザフスタンという国については全く知らなかったが、少なくともアルマトゥイを見る限りでは、ヨーロッパナイズされた先進国であることが分かった。 アルマトゥイとは元々“リンゴの里”という意味らしい。

   10時に運転手のスルーランがホテルに迎えにきてくれ、ランクルに荷物を載せて10過ぎにホテルを出発。 大きなスーパーマーケットに寄り、上部キャンプでの食料と行動食の買い出しをする。 店内には両替所があり、米ドルをカザフスタンの通貨のテンゲに両替する。 1ドルが186テンゲだった。 店内の品揃えは多いが、なかなか欲しいものは見つからなかった。 

   2時間ほどで買い出しを終え、200キロほど離れた今日の目的地のカルカラのキャンプ場に向けて炎天下の道路をひた走る。 道路脇に立つ標識の制限速度は90キロとなっていたが、広い道では100キロを超える猛スピードで飛ばしていく。 途中のガソリンスタンドの温度計は38度を表示していたが、何故かスルーランは窓を開けてエアコンを使おうとはしなかった。 ガソリンは平均リッター108テンゲ(邦貨で約70円)ほどだった。 市街地を抜けると、道路脇にはスイカやメロンを売る露天商が散見されるようになった。 車は平らな草原の中の道を真っ直ぐに走っていく。 街道の途中には小さなレストランのような建物が点在していたが、なぜかスルーランは日陰の草むらに車を停めて、そこで簡素なランチボックスでの昼食となった。 店の衛生状態が悪いのか、時間の節約なのかは分からないが、少なくともエージェントが経費を削っているとは思えなかった。 

   昼食後に車は山道を走るようになり、『レッドキャニオン』という奇岩の景勝地や峠を越えると道路が分岐する小さな町があり、休憩がてらアイスクリームを買って食べた。 再び草原の中の道となったが、次第に牛や羊の群れが見られる牧草地となった。 道路が未舗装になった所で、同じエージェントのワゴン車に追いついた。 私達と同じように山を登りに来た他の国の隊だとスルーランが教えてくれた。 間もなく道路は轍だけとなり、他隊はそこで待機していた大型のジープ仕様のバスに乗り換えたが、私達はそのままランクルでキャンプ場への山道を先行して進み、小川を渡ったりしながら緩やかに勾配を上げていった。 意外にも勾配が急になってくると、ランクルが時々エンストを起すようになり、とうとうオーバーヒートで動かなくなってしまった。 スルーランがエアコンを使おうとしなかったのは、エンジンが不調だったせいかもしれない。 しばらくすると後続の他隊を乗せたバスが追い付き、そのドライバーさんが慣れた手つきで直してくれた。

   間もなくキルギスとの国境地帯となり、道路脇には鉄条網が張り巡らされるようになった。 その先に簡易なゲートがあり、銃を携えたカザフスタンの制服の兵士からパスポートを預けるように指示され、それと引き換えに通行を許可された。 ゲートの先には、白いヘリコプターが置かれ、そのすぐ先が目的地のカルカラのキャンプ場だった。 キャンプ場には食堂となっている平屋建ての建物と沢山の家型のテントが並んでいた。 このキャンプ場はエージェントのハン・テングリ社が経営しているとのことで、社長のカズベックと番犬のカーリーが出迎えてくれた。 カーリーは飯塚さん夫妻がここを訪れた時はまだ子犬だったという。 アルマトゥイで800mを指していた高度計の数字は2160mになっていた。 

   テントは空きがあるようで、二人用のものを一人で使えた。 テントの周りはフウロが咲乱れるお花畑となっていたが、虫はそれほど多くなかった。 広い食堂で夕食を食べ、8時を過ぎると高原のように涼しくなってきた。 寝る前にSPO2と脈拍を測ると、90と63だった。


ホテル『ASTRA』


ホテルのレストラン


ホテルの部屋の窓から4千メートル級の山々が見えた


大通りは片側4車線と道幅は広いが、それでも交通量は非常に多い


ホテルの近くの鉄道の駅


駅前の花壇の花


ランクルに乗ってホテルを出発する


大きなスーパーマーケットで上部キャンプでの食料と行動食の買い出しをする


アルマトゥイの入口にあったリンゴをモチーフにしたモニュメント


制限速度90キロの道を100キロを超える猛スピードで飛ばしていく


日陰の草むらで簡素なランチボックスでの昼食を食べる


『レッドキャニオン』という奇岩の景勝地


道路が分岐する小さな町


道路が轍だけとなった所で他隊は大型のジープ仕様のバスに乗り換えた


キャンプ場への山道の途中でランクルがオーバーヒートで動かなくなってしまった


キャンプ場の手前には簡易なゲートがあり、銃を携えたカザフスタンの兵士がいた


キャンプ場の家型のテント


キャンプ場の食堂棟


食堂棟の内部


田路さんと割石さん


夕食の羊肉の煮込みと白米


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ハン・テングリ