《 25日 》

チキアン(3400m) ⇒ コノコーチャ峠(4050m) ⇒ ワラス(3090m)

   7月25日、昨夜は久々のベッドでぐっすり眠れたが、ラサックの登攀で酷使した腕の筋肉痛がまだ残っていた。 今日は伊丹さんとOさんがリマから深夜の便で一足先に帰国し、平岡さんと朋子さんはトレッキングと観光にリマから南部の古都クスコ(3400m)へ、私と妻と西廣さんと節子さんの4人はブランカ山群のチョピカルキ(6354m)の登山に向けてワラス(3090m)の町にそれぞれ向かう。

   チキアンのホテルを9時過ぎに出発し、エージェントが用意した大型のバスに乗ってコノコーチャ峠(4050m)に向かう。 ここ数日良い天気が続いていたが、今日は雲が多く車窓からワイワッシュの山は見えなかった。 1時間足らずで峠に着くと、エージェントが用意したワゴン車が待っていた。 リマに向かう4人との別れを惜しみながら、再会を誓ってアグリらと一緒にワゴン車に乗り込む。 ペルーでは昨今景気が良いのか、何か所かで道路工事をやっていて、道路も前回の滞在時に比べて良くなっていた。 間もなくブランカ山群の山並が見え始めたが、こちらも雲が多くワスカランは見えなかった。 途中、ワゴン車のドライバーが何かを不法に所持していたらしく、検問所でしばらく足止めを食ったが、正午前にワラスでの滞在先となるホテル『コロンバ』に着いた。 

   1時間後にアグリがホテルに来てくれ、昼食を食べながら登山の打ち合わせをすることになった。 町のメインストリートでは、ワラスが県庁となっているアンカシュ県の制定記念日ということで、交通規制をして盛大なパレードをやっていた。 ワラスには立派な銀行もあるが、アグリが利用している街の両替商で米ドルをペルーの通貨のソーレスに替える。 100ドルが約270ソーレスだったので、物価は日本の三分の一くらいだ。 アグリの勧めで前回の滞在時も行ったガイド組合の近くの『エル・オルノ』というピザの専門店に入る。 ピザはもちろん石窯で焼かれたもので、味もさることながら種類と量がとても多かった。 食事の前後にアグリとチョピカルキ登山の打ち合わせをする。 当初の計画では3泊4日の日程だったが、これはエージェントの社長のベロニカが決めたもので、アグリからは私達の昨日までの行動や順応の程度から4泊5日の方が良いという提案があったので、予備日は1日減るがアグリの提案に従うことにした。 アグリと明日の夜に夕食を食べながら最終の打ち合わせをすることを約し、スーパーで日用品の買い物をしてホテルに戻った。 

   荷物の整理をしながら、クリーニングに出すものなどを選別していると、寛ぐ時間もなく夜になった。 夕食は前回の滞在時も行ったレストランの『ビストロ・デ・ロス・アンデス』に行き、ワラスではポピュラーなトゥルーチャなどを食べた。 ホテルへの帰り道で、偶然にもワラス在住の谷川さんと横断歩道の上ですれ違い、後ろから声を掛けたが、気が付かずに行ってしまった。 ホテルに戻ると、先ほどフロントに預けたばかりのクリーニングがもう出来上がっていた。 4〜5キロの衣類を頼んで72ソーレス(邦貨で約2500円)だった。 あいにく浴室にはバスタブが無かったが、シャワーの湯量は豊富で、それなりに快適だった。


チキアンのホテル


エージェントの大型バスでホテルを出発する


車窓から見たチキアンの町


チキアンからコノコーチャ峠への道


コノコーチャ峠手前の草原


コノコーチャ峠でリマに向かう伊丹さん・Oさん・平岡さん・朋子さんとお別れする


西廣さん夫妻とエージェントのワゴン車でワラスへ向かう


コノコーチャ(湖)


車窓から見たブランカ山群最南端のカウララフ(5603m)


車窓から見たブランカ山群


ワラスのホテル『コロンバ』


ホテルの室内


メインストリートではアンカシュ県の制定記念日のパレードをやっていた


パレードを見物する観光客


両替商で米ドルをソーレスに替える


ガイド組合(カサ・デ・ギア)


ピザの専門店『エル・オルノ』で昼食を食べる


昼食のピザ


スーパーで日用品の買い物をする


ホテルに戻る


レストラン『ビストロ・デ・ロス・アンデス』で夕食を食べる


夕食のトゥルーチャ


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