《 11月11日 》

ポルツェ ( 3 8 1 0 m ) ⇒ モン・ラ ( 4 1 5 0 m ) ⇒ キャンヅマ ( 3 5 5 0 m ) ⇒ ナムチェ ( 3 4 4 0 m )

   11月11日、寒さが次第に増してきたようで、朝起きると窓ガラスが凍っていた。 快晴の天気は今日も続き、村人が“水の神様”と崇めるクーンビラ(5761m)がすっきりと望まれた。 早朝からロッジの手伝いに来ていたナムギャルに見送られ、8時前にロッジを出発。 今日もナムチェ(3440m)までの短い行程だ。 急遽ロッジから目と鼻の先のニマソナの家に招かれ、ミルクティーをいただくことになった。 ニマソナの家は比較的大きかったが、母屋の大部分は登山道具の倉庫になっていた。 ニマソナは敬虔なチベット仏教徒のようで、一人一人に金色のカタ(布)を授けてくれた。 ニマソナと同様、奥さんや子供たちもはにかみ屋で、台所の隅に隠れてしまい私達の前には出てこなかった。

   集落の外れからドゥードゥ・コシ(川)が流れる深い谷底まで急坂を下り、パサン・カミが自分が架けたと自慢する鉄の橋を渡った先のポルツェ・タンガの一軒宿からモン・ラ(峠)(4150m)へ長い坂を登る。 10時過ぎにタルチョが四方に張り巡らされたチョルテンが建つモン・ラに着いた。 往路では見えなかったアマ・ダブラムやタウツェが今日は良く見える。  モン・ラでコーラを飲んで一息入れてからサナサ(3650m)へ下る。 道は登り返しもなくなり、時々後ろを振り返りながらサナサに向けてどんどん下る。 サナサの三叉路をクムジュン方面には行かずにナムチェへの最短ルートに入ると、日本人のハイキングの団体と久々に出会った。 カラ・パタールやゴーキョへのトレッキングだけでなく、ナムチェ周辺でエベレストを眺めるツアーも多いそうだ。 装飾品を並べた露店が見られるキャンヅマの集落(3550m)に入ると、突然山岳マラソンのランナー達が走っている光景が見られた。 『エベレスト・トレイル・レース』という大会のようだ。 まだ11時だったが、キャンヅマのロッジで昼食となった。 トレッカーのみならず観光客も多いキャンヅマは、ロッジもナムチェより新しく綺麗で、料理も美味しかった。

   キャンヅマを正午過ぎに出発し、タムセルクとコンデ・リを眺めながら1時間少々で待望のナムチェ(3440m)に着いた。 雑居ビルの中にあるロッジはこぢんまりとしていて、私達の他に長期滞在している日本人の年配の女性が一人いた。 パサン・カミから、14日に予約していたルクラからのフライトが一日前の13日に変更出来たという朗報が伝えられた。

   食堂でお茶を飲んで寛いでから土産物を物色しに出掛ける。 買い物の途中で『ナムチェ・ベーカリー』でアップル・パイをいただく。 買い物を終えた後は山が良く見える場所を探し、夕陽に染まるタムセルクをいつまでも眺めていた。 天気が良い日のナムチェは暖かく、食堂には薪ストーブではなく電気ストーブが置かれていた。 夕食はチキンカレーを注文し、ようやく美味しい肉にありつけた。


ポルツェ (3810m)⇒ モン・ラ (4150m)⇒ キャンズマ (3550m)⇒ ナムチェ (3440m)


ポルツェからは村人が“水の神様”と崇めるクーンビラがすっきりと望まれた


早朝からロッジの手伝いに来ていたナムギャル


ニマソナの家に招かれ、金色のカタ(布)を授かった


ニマソナの家の母屋の大部分は登山道具の倉庫になっていた


ポルツェ・タンガからモン・ラへの長い坂


モン・ラへの登りから見たポルツェの集落とアマ・ダブラム


モン・ラ(峠)


モン・ラからサナサへ下る


モン・ラとタウツェ


モン・ラ付近から見たアマ・ダブラム


サナサ付近から見たコンデ・リ


装飾品を並べた露店が見られるキャンヅマの集落


キャンヅマから見たタウツェ


キャンヅマから見たタムセルク


キャンヅマから見たアマ・ダブラム(右)とローツェ(左)


ナムチェのロッジ


ロッジの食堂で寛ぐ


ナムチェから見たタムセルク


雑貨店で土産物を買う


『ナムチェ・ベーカリー』でアップル・パイをいただく


日没直前のタムセルクの頂


夕食のチキンカレー


B A C K  ←  《 11月10日 》

N E X T  ⇒  《 11月12日 》

アマ・ダブラム