《 10月31日 》

B.C ( 4 6 0 0 m )

   10月31日、明け方のテントの中の気温はマイナス3度と冷え込み、シュラフも結露でびっしょり濡れていた。 テントに陽が当たるまで朝寝坊を決め込んでいたが、隣のテントの田口さんに促され、早朝の清々しい山々の写真を撮る。 今日から毎朝7時にモーニングティーをキッチンボーイが個人用テントに届けてくれる。 朝食は昨夜コックのドゥルゲにお願いしておいた天ぷらうどんとパンケーキ。 食後はB.Cの裏手の丘を散歩する。

   当初B.Cでのプジャはやらないということで、パンボチェのゴンパで済ませてきたが、何故かまた午前中にプジャをすることになった。 他の隊のプジャでラマ僧がB.Cにいるのだろう。 本当にネパール人はプジャが好きだ。 スタッフ達は祭壇を作ったり、お供えを作ったりと準備に大忙しだ。 メンバーの中にはB.Cでのプジャが初めてという人もいた。 早朝から各隊が順番にプジャを始め、私達の隊は昼前から始まった。 祭壇の周りにはピッケルやアイゼンなどの登攀具を置き、一緒にラマ僧に祈祷してもらう。 いつものようにスタッフが途中から祭壇の四方にタルチョを張り巡らす。 お供えのお菓子やビールがふるまわれ、御守りのオレンジの紐を首に結んでもらう。 最後はツァンパ(小麦粉)を顔に塗りあってプジャが終わる。 余興のシェルパダンスが始まり、私達も三々五々その輪の中に入って踊った。 ダンスの後も酒盛りは続き、昼過ぎにお開きとなった。

   昼食は日本のルゥーを使ったチキンカレー。 午後は酔っぱらったメンバーもいて、各々個人用テントで休養した。 天気は下り坂となり寒かった。 歩いてないと体が温まってこないので、B.Cの周囲を歩きまわる。 まだ新雪が溶けていない山を見ていると、今回は登れないかもしれないとつくづく思った。

   夕食はヤク肉のすき焼き。 美味しくてお腹いっぱいに食べた。 夕食後に平岡さんから現在のルートの状況と今後のスケジュールについての説明があった。 大雪によりルート工作が全く捗ってないので、大手のエージェントが組織する各隊のサーダーが協議した結果、明後日から各隊2名ずつスタッフを出して共同でC2以降のルート工作をし、予定では3日間で山頂までフィックスロープを張るとのこと。 C.3は雪崩の危険があり、C.2はもともと非常に狭いので、C.2とC.3の中間(C.2.7)にテントを3張設営し、C.1とC.2.7の二つの上部キャンプで行動するとのこと。 アタック日にはスタッフが未明にC.1を発ち、C.2.7で合流するというギリギリの作戦のようだ。 夕食後のSPO2は86、脈拍は65であまり良くなかった。


早朝のテントサイトから見たアマ・ダブラム


早朝のテントサイトから見たタウツェ


朝食の天ぷらうどん


B.Cのテント村


B.Cの常設トイレ


B.Cの裏手の丘から見たタウツェ


B.Cの裏手の丘から見たロブチェ・イースト(中央)


B.Cの裏手の丘から見たアマ・ダブラム


プジャが始まる


祭壇の四方にタルチョを張り巡らす


お供えのお菓子やビールがふるまわれる


ツァンパ(小麦粉)を顔に塗りあう


シェルパダンスの輪の中に入って踊る


隊員とスタッフ全員の記念写真


昼食のチキンカレー


夕食のヤク肉のすき焼き


夕食後にチャン(どぶろく)を飲む左党のメンバー


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アマ・ダブラム