《 10月30日 》
パンボチェ ( 3 9 3 0 m ) ⇒ アマ・ダブラムB.C ( 4 6 0 0 m )
10月30日、今日はパンボチェのロッジで休養する予定だったが、順応が出来ていればアマ・ダブラムのB.Cの方が個人用テントで快適だし、日本食も潤沢に食べられるので、予定を変更してB.Cに行くことになった。 残念ながら山村さんは体調の悪さが回復しないため、アマ・ダブラムの登頂を諦めることを決断され、帰国する妻や節子さんと一緒にナムチェに下ることになった。 妻も節子さんも、初めてのネパールの山旅を充分満喫し、疲れもピークに達していたので、素晴らしいロケーションを誇るアマ・ダブラムのB.Cを見てから帰ることを強く勧められなかった。
9時に道案内役のチェリンと共にナムチェに下る三人を見送り、私達もアマ・ダブラムのB.C(4600m)へ向かう。 パンボチェの下の集落を通ってイムジャ・コーラ(川)を古い鉄製の橋で渡り、対岸の急斜面をひと登りすると、アマ・ダブラムの裾野の広い台地状の草原に出た。 草原からの展望は良く、アマ・ダブラムやタウツェはもちろんのこと、コンデ・リやその奥にヌンブール、そしてローツェとヌプツェが見えた。 草原の先は丘になっていて傾斜は次第に増したが、踏み跡は明瞭で登り易かった。 B.Cに近づくと、プモ・リやエベレストの山頂も見えるようになり、写真を撮るのに忙しい。 観光用なのか荷上げなのか、B.Cに時々ヘリが飛んでいく。 神々しいアマ・ダブラムがますます近づいてくる。 B.Cの少し手前にアマ・ダブラムが一番絵になる場所があり、皆でしばらく撮影大会となった。
パンボチェからB.Cへの標高差は700mほどあったが、それなりに順応していたので、3時間ほどで待望のB.Cに着いた。 まだ残雪が残る広いB.Cには、すでに各隊の沢山のテントが整然と並び、さながら観光地のような雰囲気がした。 トレッキングルートからは見えない山の中に、これほど壮観なB.Cがあるとは、一般のトレッカーには想像出来ないだろう。 エベレストと同じように、この山の人気の高さがうかがえた。 B.Cの入口から私達の隊のテントサイトへ向かうが、意外にも登山者の人影は少なく、大手のエージェントが“場所取り”だけをしているように思えた。 B.Cからは憧れのアマ・ダブラムが目の前に大きく鎮座し、山頂や登るルートも良く見える。 広く平らな草原のB.Cは真ん中を小川が流れ、B.Cの環境としては申し分ない。 個人用のテントは新品で、食堂テントも大きかった。 コックは昨年のヒムルン・ヒマールの時と同じドゥルゲだった。 昼食はもちろん日本食で、久々の炊きたてのごはんと味噌汁が美味しかった。
昼食後は個人用テントに荷物を搬入し、のんびりと荷物の整理をする。 しばらくすると、先にB.C入りしていた別働隊の林さん、安倍さん、利岡さんの三人がC.1への高所順応から戻ってきて、一週間ぶりの再会となった。 フィックスロープはまだC.2の途中までしか伸びていないとのことで、B.Cの登山者が一斉に動き始めたら、ただでさえテントスペースの無い上部キャンプでは大変なことになることが懸念された。 夕方6時のSPO2は90、脈拍は55と順応に関してはかなり好調だが、喉が渇いて咳が止まらず、少し寒気もした。 夕食は野菜の天ぷらと焼き鳥。 食堂テントにはガスストーブもあり、至れり尽くせりだった。