《 10月18日 》

ポルツェ ( 3 8 1 0 m ) ⇒ 高所順応 ( 4 4 0 0 m ) ⇒ パンボチェ ( 3 9 3 0 m )

   10月18日、夜中から僅かな頭痛が続き、熟睡出来なかった。 まだこの高さに完全に順応出来ていないようで驚いた。 それでも起床前のSPO2と脈拍は90と54で数値的には良好だった。 天気はまだまだ不安定で、山々には雲が取り付いていた。 今日も雨対策の荷物のパッキングが煩わしい。 今日は午後にプジャをするため、エベレスト街道で昔からある集落としては最奥と言われるパンボチェ(3930m)までの半日のトレッキングだ。

   ポルツェからパンボチェへは基本的に山腹をトラバースしながら進んでいくが、地図では分からない小さな登り下りが多く、思った以上に楽ではなかった。 晴れていれば終始アマ・ダブラムを眺めながら歩けるが、今日は山が全く見えない。 雪のため独特の埃っぽさがないのが唯一の救いだ。 本来のエベレスト街道は、イムジャ・コーラ(川)が流れる深い谷の対岸に見えるタンボチェ(3860m)やデボチェ(3710m)の集落を辿るので、今日のルートはいわゆる“裏街道”だが、それでも歩いている人は結構多い。 この辺りでは4000mを少し超えた所が雪線となっているようで、トレッキングルートにも雪崩の跡が見られた。

   目的地のパンボチェの集落が眼下に見えるようになった所が今日のルートの最高点(4050m)で、そこで休憩となった。 予定には無かったが、平岡さんの提案で希望者だけ順応のためさらに上まで登ることになり、トレッキングルートを外れて草付きの急斜面を登る。 ありがたいことに天気は徐々に回復し、エベレストやローツェが雲の間から見えるようになった。 ローツェの方が手前にあるためか立派に見える。 急斜面の登りはきついが、山が見え始めたので足取りは少し軽くなった。 1時間ほどマイペースでゆっくり登ると新雪が斜面を覆い始めたので、迷わずそこをゴールとした。 GPSでは4400mほどあるとのことだった。 順応のためしばらくそこで寛いでいたが、残念ながら眼前のアマ・ダブラムは雲の中で見えなかった。

   草付きの急斜面を足早に下り、正午にトレッキングルートに戻ると、ようやくアマ・ダブラムに付いていた雲が取れ、皆の足が前に進まなくなった。 昼過ぎにパンボチェのロッジに到着。 エベレスト街道の本線と合流したため、ロッジやその周辺にはトレッカーの姿が多く見られた。 

   昼食を食べ、午後はロッジのすぐそばのゴンパ(僧院)でプジャ(祈祷)をしてもらう。 今回はB.Cでのプジャはやらないとのことで、少し淋しい気もした。 最奥の集落というパンボチェのゴンパは大きくて立派だった。 沢山の魔除けが飾られた本堂でラマ僧による日常のプジャが終わると、別棟の社務所で今回のアマ・ダブラム登山に向けて年配のラマ僧からの説教があり、最後に一人ずつラマ僧から名前を呼ばれて御守りのオレンジ色の紐を首に結んでもらった。 

   ロッジに戻って遅いティ−タイムの後、夕食は沢山の種類のものを少しずつ取り分けて食べた。 夕食後のSPO2と脈拍は88と58で、この高さではあまり良くなかった。


ポルツェ (3810m) ⇒ パンボチェ (3930m)


ポルツェの集落


ポルツェからパンボチェへは山腹をトラバースしながら進む


イムジャ・コーラ(川)が流れる深い谷の対岸に見えるタンボチェの集落


パンボチェが眼下に見える今日のルートの最高点


トレッキングルートを外れて草付きの急斜面を登る


天気は徐々に回復し、エベレストやローツェが雲の間から見えるようになった


1時間ほどマイペースでゆっくり登る


新雪が斜面を覆い始めたので、迷わずそこをゴールとした


草付きの急斜面を足早に下る


トレッキングルートに戻ると、ようやくアマ・ダブラムに付いていた雲が取れた


パンボチェのロッジ


ロッジの周辺から見たカンテガ


ロッジの周辺から見たアマ・ダブラム


昼食のチーズマカロニ


昼寝をするスタッフ


ロッジの寝室


ロッジのすぐそばの立派なゴンパ


沢山の魔除けが飾られた本堂の中


ラマ僧による日常のプジャ


ラマ僧から一人ずつ名前を呼ばれて御守りのオレンジ色の紐を首に結んでもらう


遅いティ−タイムにロキシーを飲む


夕食は沢山の種類のものを少しずつ取り分けて食べた


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アマ・ダブラム