《 10月17日 》

クムジュン ( 3 7 8 0 m ) ⇒ モン・ラ ( 4 1 5 0 m ) ⇒ ポルツェ ( 3 8 1 0 m )

   10月17日、当初の計画では、今日はプンキ・テンガ(3250m)を経てタンボチェ(3860m)に行くことになっていたが、スタッフからのリクエストで、急遽スタッフの何人かが住んでいるポルツェ(3810m)に行くことになった。 ポルツェもクムジュンと同様にシェルパ族の故郷のようだ。

   夜中に再び雨が降ったようで、まだ天気は安定していない。 起床前のSPO2と脈拍は88と55で、就寝中の頭痛もようやく無くなった。 昨日の午前中は良く見えた山々は今日はその裾野しか見えない。 8時半にロッジを出発。 クムジュンの村外れから少し下り、クーンビラの山裾を緩やかにトラバースしながらモン・ラ(峠)(4150m)に登る。 晴れていればちょうど良い角度でアマ・ダブラムが眺められるので残念だ。 今日の目的地のポルツェやタンボチェの村がドゥードゥ・コシ(川)の流れる深い谷の対岸に見える。 10時過ぎにタルチョが四方に張り巡らされたチョルテンが建つモン・ラに着いた。 今日も半日行程で急ぐ必要は全く無いので、新しいロッジのテラスでティータイムとする。 チェリンと泉さん、岩野さん、田口さん達は峠で休まず、この先のポルツェ・タンガ(3680m)まで下っていった。 

   谷底のポルツェ・タンガへの下りは所々で勾配が急になり、息を切らしながら登ってくるトレッカー達と度々すれ違った。 ゴーキョへの道が分岐するポルツェ・タンガの一軒宿で寛いでいたメンバーと合流し昼食を食べる。 なぜかこのロッジの昼食はどのメニューも美味しくなかった。 昼食後はドゥードゥ・コシ(川)を鉄の橋で渡り、谷底から這い上がるようにポルツェへの坂道を登る。 村の入り口でドゥードゥ・コシ(川)の上流にチョ・オユー(8201m)が見えると田口さんに教えてもらった。

   1時半に長閑なポルツェの村のロッジに着くと、昨日と同じプルバが経営するロッジだった。 ロッジはまだ新しく、トイレは様式の便座で水洗だった。 午後は天気が崩れ、村は霧に包まれてしまったので、日記を書いたりして過ごす。 夕食は定番のモモ(蒸し餃子)とフライドライス(炒飯)。 夕食後に今回のスタッフ一同がロッジに集まり、平岡さんから紹介があった。 明日はディンボチェ(4410m)まで行く予定だったが、その手前のパンボチェ(3930m)のゴンパでプジャ(祈祷)をやりたいというスタッフからのリクエストがあり、また予定が変更になった。 図らずも明日もまた半日行程となり、昨年のヒムルン・ヒマールに比べると全く楽なトレッキングだ。


クムジュン (3780m)⇒ モン・ラ (4150m)⇒ ポルツェ (3810m)


ヒラリー卿が建てた学校


クムジュンの村と背後に聳えるクーンビラ


クムジュンから見たタムセルク


クムジュンからモン・ラ(峠)へ


クーンビラの山裾を緩やかにトラバースする


タルチョが四方に張り巡らされたチョルテンが建つモン・ラ


モン・ラの新しいロッジのテラスでティータイムとする


モン・ラから見たポルツェの集落


谷底のポルツェ・タンガへ下る


ドゥードゥ・コシ(川)


ゴーキョへの道が分岐するポルツェ・タンガの一軒宿


昼食のスプリング・ロール(春巻)


ドゥードゥ・コシ(川)を渡り、谷底から這い上がるようにポルツェへの坂道を登る


長閑なポルツェの村


プルバが経営するロッジ 『 TASHI FRIENDSHIP LODGE 』


ロッジの寝室


3時のティータイムに夕食をオーダーする


ロッジの厨房で腕を振るうタシ


夕食のフライドライス(炒飯)


夕食後に今回のスタッフ一同がロッジに集まった


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アマ・ダブラム