《 10月21日 》

C.2 ( 6 1 0 0 m ) ⇒ C.1 ( 5 5 0 0 m ) ⇒ B.C ( 4 9 2 0 m )

   10月21日、昨夜は予想どおり頭痛が続き熟睡出来なかった。 夜中は1時間おきに目が覚め、SPO2は常に50台しかなく、一時は46という今までで一番悪い数値が出た。 40台だと殆ど危篤状態だ。 起き上がると寒いので寝たまま深呼吸するが、どんなに頑張っても90台までいかなかった。 次回のアタックステージでこの状態だとC.3まで登るのがやっとで、とてもサミットは無理だ。 7時の起床直前にパチンコ玉ほどの血の塊(鼻糞)が偶然鼻から取れ、一気に呼吸が楽になった。 相変わらず食欲は無く、朝食はコーンスープ一杯のみ。 

   9時にC.2を出発。 昨日の午後着いた他の隊のテントが数張り増えていた。 昨日まで気が付かなかったが、C.2からもダウラギリやマチャプチャレが見えていた。 上空には筋雲が少し出ているが、今日も穏やかな天気で風もなかった。 今日はスタッフ全員と一緒に下山する。 一昨日登ったばかりなので、C.1までのルートの記憶は鮮明だった。 登る時に荷上げした食糧などもないので、下りは全く楽だった。 フィックスロープを頼り、労せずして2時間足らずでC.1に着く。 食糧や装備などのデポ品をチェックし、高所靴からトレッキングシューズに履き替えて各々のペースでB.Cに下る。

   正午過ぎにB.Cに戻ると、テントの数はさらに増え、12隊ほどになっていた。 パサンの話では、チベットへの入国が禁止になっている影響ではないかとのことだった。 昨日下山した滝口さんも元気な様子で安堵した。 キッチンスタッフが昼食に五目炊き込みご飯を用意して待っていてくれた。 今朝までの食欲不振が嘘のようにお替りをして食べた。

   昼食を食べ終わってダイニングテントで寛いでいると、藤田さんの指の異常が目に留まった。 殆どの指に大きな水泡が出来ていて、明らかに凍傷の症状だった。 個人用テントに戻っていた平岡さんを呼び、藤田さんの指を診てもらう。 まだ初期症状で水泡も潰れてなかったので事なきを得たが、出来るだけ早期に病院での治療が必要ということになり、登頂を目前にして急遽下山されることになった。 藤田さんは最高齢にも係らず今まで一番元気に活動されていたので、この決定は本当に残念でならなかった。 本人も断腸の思いだったことだろう。 パサンがヘリ会社に連絡を入れると、邦貨で約200万円という高額の費用を提示されたが、その後の交渉で50万円ほどになったようだ。 凍傷は早期の治療がダメージを抑える最良の方法らしいが、それにしてもあまりにも高い出費だ。

   個人用テントに戻って着替えをし、少し昼寝をするともう夕飯の時間となった。 夕食はソースやきそばとヤク肉のカツ丼、インゲンの胡麻和えだった。 食欲は完全に戻り、昼食に続きお腹一杯に食べた。 デザートには“GOOD LUCK”と描かれたチョコレートケーキも出て、久々に楽しい夕食となった。 就寝前のSPO2と脈拍は80と68で数値はそれほど良くなかったが、久々に頭痛に悩まされず朝までぐっすり眠れた。


C.2には他の隊のテントが数張り増えていた


C.2直下をフィックスロープを頼って下る


クレヴァス帯の手前


クレヴァス帯


クレヴァス帯を過ぎる


クレヴァス帯を振り返る


セラック帯の手前の鞍部


C.1


C.1から各々のペースでB.Cに下る


B.Cに戻ると、テントの数はさらに増えていた


昼食の五目炊き込みご飯


夕食のソースやきそば


久々の楽しい夕食


“GOOD LUCK”と描かれたチョコレートケーキ


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ヒムルン・ヒマール