《 10月12日 》

プー ( 4 0 8 0 m ) ⇒ 高所順応 ( 4 4 0 0 m ) ⇒ プー ( 4 0 8 0 m )

   10月12日、トレッキング6日目。 まだ陽が当たらない6時前に村人達の話し声で目が覚める。 テント内の気温は3度で寝袋が結露していた。 昨夜も睡眠時の頭痛はなく、起床前のSPO2と脈拍は84と54で昨日よりも良くなった。 ここがB.Cなら良いのにとつくづく思った。 朝食はダシのきいた関西うどんで体が温まる。  今日は休養を兼ねた順応日で、プー村に滞在して周囲をトレッキングする。 午前中にプーコーラの対岸の高台にあるゴンパ(僧院)へお参りし、その先の適当な場所まで順応に行くことになった。 意外にも狭い村内には橋の流出を考えてのことか、プーコーラに架かる立派な吊り橋がもう一本あった。 吊り橋を渡り良く整備された道を登っていくと、違った角度から要塞のようなプー村の住居群の全容が見渡せ、あらためてまたその奇抜さに驚かされる。 プー村の背後の高台にもゴンパが見られた。 間もなくゴンパの入口の門があり、その先には経文が書かれた青い石がずらりと並べられ、頭上にはいくつかのチョルテン(仏塔)や立派なゴンパが見えた。 ゴンパはそれなりの規模で良く手入れされていたが、ラマ僧は常駐していないとのことだった。 ゴンパの中に入ると大きな黄金の仏像が安置されていた。 各々登山の安全と登頂を祈願する。 

   ゴンパの先の整備された道をさらに登っていくとタルチョ(五色の旗)が建つ展望所に着いた。 展望所からは眼下のプー村と、明日辿るB.C方面のパングリグレーシャー末端の広大なモレーンが見渡せた。 ペリ山群の山々も徐々に見え始めたが、肝心のヒムルン・ヒマールは奥深くてまだここからは見えなかった。 展望所から一旦少し下り、地図には載ってないB.C方面とは違う方向の明瞭な踏み跡を辿っていく。 放牧されたヤクが散見された。 間もなくペリ山群の7000m峰の一峰であるラトナチュリ(7035m)が見え、その直後に本命のヒムルン・ヒマールが6000m台の前衛峰を従えながらようやくその姿を現した。 地図を広げ、資料の写真と見比べながら山座同定する。 間違いなくヒムルン・ヒマールだった。  荒々しい5000m台の無名峰を望みながらさらに奥に進む。 天気も良く風もない絶好の登山日和だ。 懐の深いヒムルン・ヒマールはすぐに見えなくなってしまった。 ゴンパの上の展望所から1時間半ほど良く踏まれた道を歩くと、視界が一気に開けて広い牧草地に着いた。 標高はプー村から300m以上高い4400mほどだった。 正面にはペリ山群西端の山並みが望まれ、ラトナチュリが良く見えた。 

   30分ほど順応のためそこで休憩し、各々のペースで往路を戻る。 正午過ぎにプー村のテントサイトに戻り、ランチのオムライスを食べ、午後は昼寝をしたりお茶を飲んだりしてのんびり過ごした。 夕食前のSPO2と脈拍は93と58と非常に良かった。 夜は結構冷え込むので、夕飯はついつい日常よりも多目に食べてしまう。 今晩のメインディシュは春巻(日本のものより皮が厚い)で、前菜は甘辛く炒めた羊の肉と切干大根だった。

 

朝食はダシのきいた関西うどん


村にはプーコーラに架かる立派な吊り橋がもう一本あった


違った角度から見た要塞のようなプー村の住居群


ゴンパ(僧院)


チョルテン(仏塔)


ゴンパの中には大きな黄金の仏像が安置されていた


ゴンパはそれなりの規模で良く手入れさていた


タルチョ(五色の旗)が建つ展望所


展望所から見たプー村の住居群(左下)


展望所から見たB.C方面のパングリグレーシャー末端の広大なモレーン


展望所から地図には載ってない明瞭な踏み跡を辿る


ヒムルン・ヒマール(中央)が6000m台の前衛峰(左)を従えながらようやくその姿を現した


地図を広げ、資料の写真と見比べながら山座同定する


荒々しい5000m台の無名峰を望みながらさらに奥に進む


4400mほどの高さの牧草地


牧草地から見たラトナチュリ(7035m)


各々のペースで往路を戻る


午後はテントでのんびり寛ぐ


夕食の春巻


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ヒムルン・ヒマール