《 10月11日 》

キャン ( 3 8 2 0 m ) ⇒ プー ( 4 0 8 0 m )

   10月11日、トレッキング5日目。 今日も乾期らしい快晴の天気だ。 明け方のテント内の気温は5度、起床前のSPO2と脈拍は82と59で、まだ睡眠時の頭痛はない。 今日はいよいよ秘境のプー村(4080m)に入る。 プーとはチベット人という意味のようだ。 キャンプ地からは朝陽に輝くアンナプルナU峰の頂稜部とヒマラヤ襞の美しい無名峰が見えた。 

   8時にキャンのキャンプ地を出発。 プーコーラの狭いV字谷の左岸の絶壁を削って作られた道を進む。 しばらくすると道は暗い谷底に向かって下っていった。 S字状の谷は一旦狭くなり、陽の当たらないプーコーラの河原に沿ってしばらく歩くと、谷は次第に広くなり陽も当たって明るくなった。 草が生えている場所にはヤクが放牧されていた。 再び谷は狭まったが、ピサの斜塔のような大岩を過ぎると、崖を高巻いて峠のような所を目指して登る。 峠には石を積んで作った門があり、重荷を背負ったポーター達が思い思いに休憩していた。 峠からの展望はとても良く、正面には5000m台の無名峰が屹立し、振り返ればカンガル・ヒマール(6981m)が望まれた。 

   門から先がプー村となるのか、そこから少し下った所に古いチョルテ ン(仏塔)があり、傍らには経文が記された沢山の石盤が石垣の上に並べられていた。 間もなく前方に尖ったペリ山群の純白の6000m峰が見えると周囲が開けて平らになり、その先が広いテントサイトになっていた。 そこから左の吊り橋でプーコーラを渡ると、岩壁にへばり付くように石を積んだ家が密集する要塞のようなプー村の特異な景観が目に飛び込んできた。 

   正午前にプー村に着いたが、テントを運んでいるロバがまだ着かないので、周囲を散策したりして過ごす。 付近には麦の刈取りが終わったばかりの段々畑があり、女性達が麦を脱穀している姿が見られた。 村の子供達は明るく、最近は外国人トレッカーも多いためか、まったく人見知りもせずに近寄ってくる。 意外にも住居を改造した小さなロッジが2軒あり、外国人の登山グループが泊まっていた。 家々には小さなソーラーパネルが取り付けられていたので、電燈や電気製品があるのだろう。 秘境と言われたプー村もこれからますます変わっていくことだろう。 

   スタッフに個人用テントとダイニングテントを設営してもらい、昼食は日本式のカレーライスを食べた。 4000mを超えたが、今のところ高度障害はなく体調は良い。 夕方の5時でテント内の気温は10度だった。 夕食はコロッケとインゲンの胡麻和え、野菜スープなど。 コックのドゥルゲはマイラの弟で日本語も片言で話せ、日本食が上手に作れるので、B.Cでの食事は期待出来そうだ。 就寝前のSPO2と脈拍は82と62で、今朝と変わらなかった。


キャン(3820m) ⇒ プー(4080m)

 

キャンのキャンプ地から見た朝陽に輝くアンナプルナU峰の頂稜部(右)とヒマラヤ襞の美しい無名峰(左)


朝食のインスタントラーメン


キャンプ地を出発する


プーコーラの左岸の絶壁を削って作られた道を進む


振り返り見たキャンのキャンプ地


暗い谷底に向かって下る


プーコーラの右岸の絶壁


プーコーラの河原を歩く


谷は次第に広くなる


放牧されているヤク


再び河原に下りる


左岸の柱状節理


再び谷が狭くなる


ピサの斜塔のような大岩


崖を高巻いて峠に登る


峠で休憩するポーター達


峠から望む5000m台の無名峰


峠付近から望むカンガル・ヒマール(6981m)


峠を下ると古いチョルテンがあった


経文が記された沢山の石盤が石垣の上に並べられていた


前方に尖ったペリ山群の純白の6000m峰が見えると周囲が開けて平らになった


プー村の入口の広いテントサイト


吊り橋でプーコーラを渡る


岩壁にへばり付くように石を積んだ家が密集する要塞のようなプー村の異様な景観


麦の刈取りが終わったばかりの段々畑


麦を脱穀する女性達


村には小さなロッジが1軒あった


岩壁を削り石を積んだ家


村の子供達


村の子供達


テントの周りの日溜りで寛ぐ女性ポーター達


テントサイトとプー村の家々


昼食の日本式カレーライス


プー村から見たカンガル・ヒマール


日本食の上手なコックのドゥルゲ


夕食のコロッケとインゲンの胡麻和え


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ヒムルン・ヒマール