《 10月8日 》

B.C  ( 4 7 5 0 m ) ⇒ サマ村  ( 3 5 3 0 m ) ⇒ カトマンドゥ  ( 1 3 3 0 m )

   10月8日、4時半に起床すると、夜中に雪が降ったようでテントが白くなっていた。 ダイニングテントでお湯をもらい、朝食にアルファー米の余りを食べる。 予定どおり6時に1か月以上滞在したB.Cを出発する。 もう二度とここを訪れることは無いのでとても名残惜しい気分だ。 B.Cに来た時はまだ夏のモンスーンの時期だったが、日の出の時間も遅くなり日本と同じように季節は秋になったようだ。

   B.Cからは顕著な痩せ尾根を下る。 朝陽が頂稜部に当たり始めた神々しいマナスルに歓喜の声をあげ、何度も後ろを振り返りながら写真を撮る。 間もなくご来光となった。 澄み切った青空を背景にしたマナスルが白く輝き、数日前にその頂に立ったことが夢のように思える。 裾野の山肌は紅葉が始まっていた。 間もなく私達の荷物を運んでくれるサマ村の人達が老若男女総出で次々と登ってきた。 中には「ジャパニーズ?」とか「サミット?」と聞いてくる人や握手を求めてくる人もいて、槇有恒氏の著書『マナスル登頂記』に記された初登頂時の村人の妨害行為が嘘のようにフレンドリーな感じがした。

   休憩なしで歩き続けたので、予定どおり8時にサマ村に着いた。 終盤はB.Cでもストレスを感じることは無かったので、特に酸素の濃さを実感することは無かった。 ヘリポートではコーラが配られ、草原に寝そべってヘリが到着するのを待つ。 ヘリに乗る順番はサマ村に着いた順なので、もちろん私達が一番後だ。 9時にようやく最初のヘリが飛んできたが、私達の乗るヘリが来たのはその1時間半後だった。 ヘリの大きさは色々あり、私達の乗った6人乗りのヘリは小型だったので、途中で給油のため一旦山間にある中継地に下りたため、カトマンドゥまで1時間ほど掛かった。 

   カトマンドゥの空港に降り立つと、酸素が濃いというよりは空気が重くて蒸し暑かった。 空港からタクシーでホテル『ハイアット・リージェンシー』に直行する。 B.Cから半日でカトマンドゥのホテルに着いてしまうなんて、一昔前のマナスル登山では考えられなかったことだろう。 1か月半ぶりにまともなシャワーを浴びる。 砂埃のある所を全く歩いていないので、それほど体が汚れているという感じはしなかった。 打ち上げと昼食を兼ねてタメル地区では有名な日本料理店の『桃太郎』に皆で行く。 まずはビールで乾杯し、餃子、カツ丼、すき焼きうどん、肉野菜ラーメン、炒飯、冷奴などを次々に注文する。 味は日本のものと変わりなく、期待以上の美味しさだった。 空港に着いた時点では酸素の濃さを実感することは無かったが、じわじわと酸素が体に行き渡ってきたようで胃腸が活性化し、普段の倍の量を食べてもまだ足りないくらいだった。 食後はタメル地区の商店街で土産物を物色し、るみちゃんのお勧めの店で紅茶のティーバックを買い占めた。 

   夕食は今日も皆の総意でホテルのディナーバイキングになった。 B.Cでの食事にストレスを感じることは無かったが、それでもこの時点で体重が5キロくらい落ちていたので、異常なほど食欲があり、冬眠明けの熊のように肉料理を中心にデザートのケーキも全種類食べ尽くした。 全員が登頂して登山隊としても大成功だったので、アルコールや話しも弾み、楽しい打ち上げの宴となった。 翌日はもう一日予備日があり、5ツ星の豪華なホテルでゆっくり休養したり、カトマンドゥの観光も出来たが、オープンのエアチケットで帰国日の変更が可能だったので、大切な有給休暇を無駄に使わないように、るみちゃんと二人で急遽帰国することになった。


B.Cから見た未明のマナスル


名残惜しいB.Cを出発する


顕著な痩せ尾根を下る


朝陽がマナスル頂稜部に当たり始める


澄み切った青空を背景にしたマナスルが白く輝く


マナスル氷河の舌端


裾野の山肌の紅葉


マナスル氷河の舌端とマナスル


ブリ・ガンダキ川の河原付近から見たマナスル


サマ村に着く


草原に寝そべってヘリが到着するのを待つ


6人乗りの小型ヘリに乗る


タメル地区では有名な日本料理店の『桃太郎』


ビールで乾杯する


餃子の味は日本のものと変わりなかった


ホテルでの朝食


るみちゃんと二人で一日早く帰国する


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