《 10月7日 》

B.C  ( 4 7 5 0 m )

   10月7日、山頂付近の風の強さは分からないが、今日も午前中は快晴に近い天気となった。 朝食前にAG隊のスタッフのダ・デンディが血相を変えて平岡さんのところにやってきた。 Tさんの左手の指が凍傷で全部ジャガイモのような状態になってしまい、サマ村からカトマンドゥへのヘリはチャーター出来たが、サマ村への下山に付き添うスタッフが3人必要なので、HIMEX隊からスタッフの応援を頼みたいとのことだった。 

   朝食後はスタッフ達へのボーナスを集める。 クライミングスタッフには一人当たり250ドル、キッチンスタッフには150ドル、合計400ドルを手渡すことになった。 危険なルート工作やキャンプ地の設営、登頂のアシストなどをしてもらったスタッフ達にあらためて感謝の気持ちを込めてお礼をした。 彼らの献身的なサポート無しではとうていマナスルには登ることが出来ないことは言うまでもない。 

   明日は未明に荷物をまとめ、6時にB.Cを発つことになり、それに合わせて共用テントの解体などの撤収作業が始まった。 今日B.Cを発つ隊も多いようで、目に見えて周囲のテントの数が減っていくのが分かる。 午後にはスタッフ達の大半が荷物を背負ってサマ村に下りてしまい、他の隊同様に私達のテントサイトも物寂しくなった。

   荷物の整理を済ませ、3時にAG隊のテントを訪問する。 すでに昨日登頂した男性チームのWさんとKさんも無事下山していて元気に迎えてくれた。 Kさんは工藤さんや藤川さん同様に手の指が軽い凍傷になっていた。 Wさんの話では昨日の山頂は風もなく穏やかで、またAG隊以外の隊は殆どいなかったので静かなサミットを楽しめたとのことだった。


陸路で運ぶ荷物を樽に詰める


スタッフに手渡すボーナスを集める


パワフルな英国軍人チーム


外国人最高齢のデービット(右)と親日家のウォーリー(左)


AG隊のテントを訪問する


撤収作業が進んだB.Cのテントサイトは物寂しくなった


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