《 10月5日 》

C.2  ( 6 3 0 0 m ) ⇒ C.1  ( 5 5 0 0 m ) ⇒ B.C ( 4 7 5 0 m )

   10月5日、夜中に初めてC.2で風がテントを叩いた。 今日は山頂もきっと風が強いだろう。 最後のC.2での泊まりもやはり快適とは言えず、疲れてはいたものの興奮と酸欠であまり良く眠れなかった。 風のため二次隊の出発は6時半になったようで、私達一次隊は本当にラッキーだった。 

   工藤さんは相変わらず疲労の色が濃く、朝食や出発の準備も遅れがちだったので、私と藤川さんとるみちゃんの3人で先にB.Cへ下山することになった。 外国人隊員達は8時に、私達は少し遅れて8時半にC.2を出発した。 排泄物やゴミ、そしてC.2でのデポ品が加わったので、荷物は今までで一番重い15キロほどとなった。 最後の最後で荷物が重くて嫌になるが、登頂出来ずにこの重荷を背負って下山しなければならないことを思えば何とか耐えられる。 C.2から下では風も無く、天気も昨日と同じくらい良いので気は楽だ。 昨日・今日・明日の3日間が各隊のアタック日になったので、ルート上には下のキャンプ地から登ってくる人の姿は無い。 核心部のセラック帯を過ぎてC.1が近づいてきた頃、工藤さんの歩みが捗らないのでB.Cに着くのは夕方になるという平岡さんの声がトランシーバーから聞こえてきた。 ラッセルからC.3にいるスタッフへ酸素ボンベを持って工藤さんの下山をサポートするようにとの指示があり、それほど体調が悪くなってしまったのかと驚いた。 

   11時にC.1に着くと、意外にも私達の隊のテントは全て撤収されていた。 C.1にデポした個人装備はスタッフがB.Cに下してくれたようで助かった。 B.Cと平岡さんにトランシーバーで連絡し、しばらく休憩してからB.Cへ下る。 今まで何度ここを往復したことか。 今日に限って雲が湧かず、照り返しがきつくてとても暑い。 るみちゃんは荷物が重くてペースが上がらず、クランポン・ポイントからは藤川さんと二人で先行する。 

   B.Cが近づくにつれてモレーン上の雪は少なくなり、眼下に見えてきたB.Cにはすっかり雪が無くなっていた。 100mほど手前でモニカが手を振っているのが見えてきた。 もう姿も見えているのに「ベースキャンプ、ベースキャンプ、ジャパニーズチーム、ヨシィーキアンドマコト、カムバック、ナ〜ウ、オバ!」とトランシーバーに向かって興奮しながら叫ぶ。 何故か山頂に着いた時よりも嬉しかった。 背中の荷物の重さも忘れて走り出し、真っ先にモニカとハグ、そしてラッセルとも固い握手を交わした。 登れなかったウォーリーも自分のことのように登頂を喜んでくれたことが嬉しかった。 早速、藤川さんとビールで乾杯した。 間もなくるみちゃんも到着。 その直後に無線から工藤さんがC.1に着いたという知らせが届いて安堵した。 工藤さんはだいぶ元気になったとのことで平岡さんが先に下山。 夕方前に工藤さんも元気に下山してきた。 結果的に日本人チームは全員登頂・無事下山出来て本当に良かった。 これで全てが終わった。 

   夕方、二次隊もマニを先頭に次々とアタックを終えて山頂から長駆下山し、結局一人も残さず全員が日没前にB.Cに下山してしまうという離れ業をやってのけた。 登山隊としても大成功だろう。 埼玉岳連隊に登頂の報告に行く。 夕食はステーキ、デザートはもちろんサミットケーキだ。 最年少のクリスティーヌが入刀する。 ダイニングテントはもうお祭り騒ぎだ。 その後のことは全く記憶に残っていない。


C.2でのご来光


C.2から見たピナクル


C.2からC.1へ下る


C.2から見たセラック帯(中央の雪塊)


セラック帯の入口


セラック帯とマナスル北峰(7157m)


セラック帯の上部


セラック帯の上部から中間部へ


セラック帯の終了点へのトラバース


セラック帯の終了点


ラルキャ(6249m)


ナイケ・ピーク(6211m)と他隊のC.1


C.1手前から見たピナクル


AG隊のテントを残すのみとなったC.1跡地


C.1直下からの風景


C.1直下から見たマナスル北峰(7157m)


C.1からB.Cへ下る


B.C手前から仰ぎ見たピナクル


モレーン上の雪は少なくなり、眼下にB.Cが見えた


すっかり雪の無くなったB.C


モニカに登頂を祝福されるるみちゃん


ウォーリーに登頂を祝福される藤川さん


ディナーのステーキ


登頂ケーキに入刀するクリスティーヌ


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