《 10月4日 》
C.4 ( 7 4 0 0 m ) ⇒ マナスル山頂 ( 8 1 6 3 m ) ⇒ C.4 ( 7 4 0 0 m ) ⇒ C.3 ( 6 7 0 0 m ) ⇒ C. 2 ( 6 3 0 0 m )
10月4日、B.Cと同じくらいの深い眠りから覚めて4時前に起床する。 図らずも酸素の効用で食べ物の消化が早まり用足しに行きたくなってしまったが、この時間帯ではそれなりの時間と労力を要するので我慢することにした。 その辺りの微妙な“調整”をしていたため準備に時間が掛かってしまい、出発が予定より少し遅れて5時半過ぎになってしまった。 るみちゃんと工藤さんはすでに予定どおり5時半に出発していった。 出発直前に睡眠用と登山用の酸素ボンベを交換し、レギュレターのダイヤルを指示された毎分4リッターに合わせる。 すでに周囲は明るくなり、ヘッドランプはテントに置いていく。 前方には次々と登って行く人の姿が見えた。 スタッフのニナ・テンジンは前ではなく後ろについて登るようだ。 ありがたいことに風は無く、空には一片の雲も見えない。 朝焼けに染まる背後の山々が美しく、のっけから写真を撮りながら登る。 前だけではなく後ろからも次々と人が登ってくる。
今日は昨日の倍の毎分4リッターの酸素を吸って登り、4時間後に新しい酸素ボンベと交換する。 スペアの酸素ボンベは同行するスタッフが背負って登るのが一般的だが、今回は別のスタッフがルート工作を兼ねて先行し、山頂の手前に酸素ボンベをデポしてあるようだ(埼玉岳連隊は3時半頃にC.4を出発したが、途中で私達の隊のスタッフに追い越されたとのことだった)。 無酸素で登っている人を所々で追い越しながら登って行くと、それなりに前後の間隔があいてきた。
4リッターの酸素の効果は絶大で、昨日の経験も手伝って装着していることに対する違和感やストレスは全く無く、プラスの効果だけを実感する。 息切れせずに日本の山をテント泊装備の荷物を担いで登るくらいのペースで足を止めずに登れる。 今日は昨日より荷物が軽いのでさらに楽だ。 慌しく出発したのでオーバー手袋はまだザックの中で、薄手の手袋の上に厚手のフリースの手袋をしただけだったが、結局最後までオーバー手袋もダウンミトンも使わなかった。 気温は低い(埼玉岳連隊の話では夜中の2時で外気温はマイナス25度だったとのこと)が、これも明らかに4リッターの酸素のなせる業だ。 8163mのマナスルなら3リッター位が一般的だろう。 酸素の使い方や出発時間の決め方など一連のラッセルのタクティクスには感心したが、やはりC.3では睡眠用の酸素が欲しかった。
間もなく先行していたるみちゃんに追いつくと、同行のスタッフが勝手に酸素の流量を2リッターにしてしまったとボヤいていた。 昨日急遽スタッフが変更したこともあり、その辺りの指示がきちんと伝わってなかったようだ。 4リッターの酸素を吸ったるみちゃんは、足早に私を追い越していった。 もしかしたら体が小さい分、同じ酸素の流量でもそれ以上の効果があるのかもしれない。 最初のフィックスロープが張られたやや急な斜面を登り終えると、正面から強烈な太陽の光が当たり始めた。 おあつらえ向きにフラットな場所があり、るみちゃんと工藤さんが休憩していたので私も迷わず一服する。 時計を見ると8時だったので、時間的にはもう半分過ぎたことになる。 相変わらず天気が良く風も無かったので、ついついのんびりと20分ほど休んでしまう。 登頂前には全く想像もしていなかった緊張感の無さだ。
最後尾で登ってきた藤川さんと平岡さんと入れ違いに山頂に向かう。 太陽が正面からまともに照り付けて眩しいので、フリースの帽子と目出帽を脱いで日除けの帽子に替える。 しばらく登ると暑くなってきたので、羽毛服のファスナーも開け、手袋も薄手のもの1枚となる。 8000m峰の登山とは思えない暖かさに驚く。 足は酸素のお蔭で全く重たくなく、気持ちはますます軽くなる。 周囲の6000m峰はどんどん低くなり、空は真っ青なヒマラヤンブルーだ。 あれほど天気に翻弄され続けた日々が全く嘘のようだ。 るみちゃんと工藤さんは前方にはっきりと見えるが、後ろの藤川さんと平岡さんは他のパーティーに紛れてはっきりと判別がつかない。
間もなく前方にデポしてある酸素ボンベが見えてきた。 時計を見るとちょうど9時で、かなりゆっくり登っても制限時間内に着いた。 ニナ・テンジンに酸素ボンベを換えてもらうが、天候が良いので待っている間も全く苦ではなく、写真を撮ったりしながら眼下の雄大な景色を堪能した。 しばらくすると手先が冷たくなってきたので手袋を二重にしたが、後でニナ・テンジンが流量を毎分2.5リッターにしていたことが分かった。
上空には相変わらず雲一つなく、少なくとも午前中は雲が湧くことはないだろう。 図らずも今日が今シーズン一番の登山日和となった。 2本目のフィックスロープが張られた斜面を登っていると、B.Cからいつも仰ぎ見ていたピナクルの岩峰が目線の高さになり、そしてついにそれも眼下となった。 もう山頂は指呼の間に見えるが、いつものように“好事魔多し・・・”というフレーズが頭に浮かんでくる。 その直後にヘルバートが登頂したという声が無線から聞こえてきた。 間もなくハイメを先頭にヘルバート、ヴォルデマースそしてクリスティーヌの3人が相次いで下ってきた。 山頂まであと10分で着くとのことで、これで本当に登頂を確信した。
頂稜部に連なる小さな岩峰の基部を左からトラバースすると、その先の平らなコルと尖った狭い山頂付近に大勢の人がいるのが見えた。 登る前は当然のことながら登頂の感動は大きいと思っていたが、いつものように目頭が熱くなるということはなく、また良く耳にする“早く下りたい”とか“もうこれ以上登らなくて済む”という発想も全く起きない。 ただ単に“次の山に繋げるために登れて良かった”、“結果を出せて良かった”という安堵感だけが頭の中を支配していた。
10時半前に山頂直下の平らなコルに到着。 C.4から僅か5時間足らずだった。 埼玉岳連隊の3人がすぐ近くにいたが、酸素マスクなどで分からなかった。 コルでしばらく順番待ちをしていると、るみちゃんと工藤さんが相次いで山頂から下りてきたのでお互いの登頂を喜び合う。 コルから少し先の岩の基部まで登り、そこでまた順番待ちをする。 前のイタリア隊が山頂に長居していたので、結果的に30分以上待たされたが、風もなく穏やかなので全く苦にならない。 周囲の景色を充分過ぎるほど堪能し、写真を撮りまくる。 間もなく藤川さんと平岡さんも到着した。 これでメンバー全員の登頂も叶った。
11時になってようやく待望の8163mの山頂に立つ。 山頂は1人がやっと居られるだけのスペースしかない雪庇の基部だった。 雪庇の上は危ないので登ることが出来ず、反対側の景色を見ることは叶わなかったが、それは登頂前から分っていたことなので悔しさはない。 山頂に立ってもなお涙は出なかった。 やはり快晴無風の天気と潤沢な酸素で今日の登りが一番楽だったせいだろうか。 酸素マスクを外して8163mの空気を胸一杯に吸い、ニナ・テンジンに登頂の写真を撮ってもらう。 意外にもニナ・テンジンもデジカメを持っていて、私に山頂での写真を撮ってくれという。 それまで控え目だった彼の山頂でのガッツポーズは私よりも気合が入っていた。 藤川さんを狭い山頂に招き、一緒の写真に納まった。
山頂直下のコルに戻り、藤川さんとあらためてお互いの登頂を喜び合い、マナスルに誘ってくれた平岡さんにも感謝の気持ちを伝えた。 B.Cへの連絡を平岡さんがしてくれたので、少し休んでから下山するという二人と別れて先に下山する。 間もなく無酸素で登ってくるビリーとすれ違った。 ペースはゆっくりだが足取りはしっかりしているので、登頂は間違いないだろう。 長いフィックスロープを2本下ると傾斜の緩い広い雪原となった。 登山家の小西政継さんが悪天候でルートを見失い遭難した場所だ。 強烈な陽射しと照り返しで暑く、とうとうダウンジャケットを脱ぐ。 山頂から僅か1時間半足らずでC.4に到着すると、すでに二次隊の軍人チームのメンバーも到着していた。 二次隊を指揮するチーフガイドのエイドリアンから祝福を受ける。 登頂の余韻に浸りながらゆっくりしていきたいところだが、二次隊にテントを明け渡さなければならないので、休む間もなく個人装備を荷造りしてニナ・テンジンと一緒にC.2へ下山する。 酸素の流量を毎分2リッターに切り替える。
昨日ほどではないが、次々とC.3から登ってくる各隊の人達と急斜面のフィックスロープですれ違わなければならず煩わしい。 間もなく明日アタック予定のAG隊の近藤さんとFさんら3人の女性陣と相次いですれ違ったのでエールを送る。 少し遅れて腕を骨折しているMさんが終始うつむき加減で登ってきたので驚いた。 その先で先に下山した工藤さんが座り込んで休んでいた。 さすがの工藤さんも少し疲れている様子だった。 藤川さんと平岡さんもじきに下ってくるので、一声かけて先に下山する。 気温の上昇で7000mを境に雪が脆くなり、時々足を取られて尻餅をつく。 昨日はすっきり見えなかったC.3の周囲の景色が今日は良く見えたので退屈することはなかった。
C.4から休まずに下ったので、僅か1時間半でC.3に着く。 C.3でデポ品を回収していると、ニナ・テンジンが酸素ボンベを新しいものに交換してくれた。 もう酸素は無くても大丈夫だと思うが、その方がスタッフも荷下げの都合が良いのだろう。 C.3からは傾斜が緩むのでC.2まではもう楽勝かと思ったが、シャリバテや気の緩みで次第に足が重たくなった。 気が付くと、出発してから殆ど行動食を食べてなかった。 先ほどまでの喧噪が嘘のように周囲には人影が少なくなった。
長い一日が終わり、4時半にC.2に着いた。 テントサイトはすでに日陰になっていたので、皆テントの中で休んでいた。 先に着いていたるみちゃんとあらためてお互いの登頂を喜び合い、B.Cへ無線で連絡する。 ガイドのハイメや他のメンバーもテントから顔を出して祝福してくれた。 装備を解きようやく身軽になったが、休む間もなく水作りを始める。 ありがたいことに隣のテントのクリスティーヌから思いがけず1リッターの“力水”(お湯) が届いた。 水作りをしながら工藤さんや藤川さんらの到着を待つ。 工藤さんは日没前に、藤川さんと平岡さんは暗くなってからC.2に着いたが、二人ともかなり疲れているようだった。 工藤さんは靴を脱がずにそのまま1時間ほど横になって動かなかった。 藤川さんは平岡さんの勧めで酸素を吸ったまま寝たようだった。 もう何も心配しなくて良いので、デポしておいた食糧をお腹が一杯になるまで食べ、登頂の余韻に浸りながら最後のC.2での夜を過ごした。