《 10月3日 》

C.3  ( 6 7 0 0 m ) ⇒ C.4  ( 7 4 0 0 m )

   10月3日、長い夜が明け6時前に起床。 夜中に少し雪が降ったが、明け方には止んでいた。 昨夜は熟睡してないこともあり、今のところ目立った高度障害はない。 天気も良いのか悪いのかはっきりしないが、とにかく最終キャンプ地のC.4(7400m)に向けて行動するのみだ。 今日からは初めて登るルートとなるが、C.3からC.4の間は急斜面や蒼氷が出ているところがあり、C.1からC.2の間に次いで登りにくいルートのようだ。 それ以前に今日は初めて酸素を使うので、その期待と不安で胸が一杯だ。 天気予報では天気は良いが風が少し吹くとのこと。 

   B.Cで何度も練習したとおり、まず酸素ボンベとレギュレターを接合し、次にレギュレターと酸素マスクのゴムホースを接合し、レギュレターの圧力計の目盛が20(半分)以上あることを確認し、息を止めて混合器が酸素で膨らむことを確認する。 最後にレギュレターのダイヤルを指示された毎分2リッターに合わせた。 平岡さんから「酸素は8時間しか持ちませんから、その時間内でC.4に着くように」とハッパを掛けられる。 テントの立地が悪いので準備に時間が掛かる。 

   予定よりも少し遅れて隊の最後尾で8時にC.3を出発すると、ちょうど下から登ってきた他の隊と一緒になってしまい、その後ろについて登り始める。 昨日の最後の登り方が非常に悪く、今日は昨日よりもさらに体が酸欠状態なので、いくら酸素を吸ったからといってC.4までまともに登れるかどうか心配だったが、初めて吸った酸素の効果は想像以上に絶大で、今までどおり足が普通に上がり息も切れない。 C.3の背後のコルに上がるまでは少し傾斜がきつかったが、ゆっくり登れば休まなくても登り続けられることが分かった。 コルに上がると、前方にはすでに大勢の人がさながら芥川小説の『蜘蛛の糸』のようにフィックスロープに繋がっている姿が見えた。 私達の隊と同様にこの日を待ちわびていた他の隊も一斉に動き出した訳だから無理もない。 無酸素の人も結構いたが、最後(山頂)まで無酸素なのだろうか。 天気は雲の間から薄日が射す程度だったので、羽毛服の上下を着ていても暑くはなかった。 

   生憎フィックスロープはずっと渋滞気味だったが、先行者のお蔭で階段状のトレースが出来上がっていたので、ユマールに頼ることなく省エネで登ることが出来た。 酸素を吸いながらの行動にも慣れてきたので、渋滞で足が止まっている時に酸素マスクを外してお湯を飲んだり鼻水をかんだりする練習をする。 傾斜は次第にきつくなっていくが、フィックスロープを外れて休めるような場所が無く、いい加減荷物の重さに疲れてくる。 正午を過ぎるとようやく渋滞は解消し、誰かが休むために雪を削った僅かなスペースを見つけてザックを下すことが出来た。 幸か不幸かすでに7000mを超え、C.4までの半分以上の標高差を稼いでしまった。 ありがたいことに天気は次第に良くなり、風も殆ど感じない程度だったので、C.4まで辿り着ける目処が立った。

   休憩した地点からも引き続きフィックスロープが張られた急斜面が続く。 山頂はまだ見えてこないが、B.Cから仰ぎ見ていた山頂直下のピナクルはもう手の届きそうな高さとなり、雲に覆われたマナスル北峰(7157m)はすでに目線の下になっていた。 C.4の手前のトラバースの所ではいつも蒼氷が出ているとのことだったが、降雪によりそれらは全て雪に覆われ全く問題なく通過することが出来た。 しばらくすると傾斜が緩み始め、C.4が近いことが分かった。 地形的にこの辺りから風が強まると思っていたが、不思議と風は全く無く、今日の核心と思われた所もマイペースで登れた。 斜面の傾斜が無くなると前方に私達の隊のC.4のテントが見え、左手にはピナクルの右に待望のマナスルの山頂が望まれた。 

   2時半に最終キャンプ地のC.4(7400m)に到着。 酸素のお蔭で昨日とは全く違う足の運びで最後まで登ることが出来た。 今日はるみちゃんが一番に着き、すぐ後から工藤さんが、しばらくして藤川さんが平岡さんと一緒に到着した。 快晴無風のC.4からは山頂が手の届きそうなさに見え、明日の天気が悪いということであれば、このままもう登ってしまいたいような気分だった。 皆も一様に元気で、その表情には高所とは思えない余裕すら感じた。

   意外にもC.4に到着してからすぐにラッセルから無線で、明日のアタックに同行するスタッフの変更と出発時間の指示があった。 意外にも明日は山頂を目指す人がスタッフを含めると100名前後になると見込まれるため、出発時間を当初予定していた3時前後ではなく、渋滞を避けるため普通のアタックでは考えられない5時半にするとのことだった。 何も知らない他の隊は私達の隊に何か異変があったのではないかと驚くに違いない。 私に付くスタッフはニナ・テンジンという名前で、年齢を聞くとまだ20歳という若さだったので驚いた。 私のみならず皆も若いスタッフに切り替わったので、これにはきっと何か理由があるのだろう。 

   スタッフからアタック用の酸素ボンベと睡眠用の少し短い酸素ボンベが配られたが、今日の分の酸素がまだ残っているので、1リッターに減らして吸い続ける。 今日は本当に酸素の効果を実感した一日だった。 明日のアタックでは今日の2倍の毎分4リッターの酸素が吸えることになっているが、明日はボッカもないので今日の倍の酸素を吸ったら本当に普段のペースで登れてしまうだろう。 天気予報では明日は良い天気になるとのこと。 予報どおり良い天気がこのまま続けば登頂の可能性は非常に高いが、この高さでは何が起こっても不思議ではないので、引き続き登頂への期待はしないように努めた。 昨日のウォーリーに続き、今日は外国人最高齢のデービットが高度障害に苦しみ、途中で引き返したということが後で分かった。

   水作りをしながら早めの夕食を食べる。 脈拍は80台とまだ高いがSPO2は80台あり、C.2と同じくらいの食欲があった。 未明に用足しに行かなくて済むように、指定されたテントサイトの裏の岩場に行く。 ちょうど日が落ちるところだったが、陽射しが無くなるとそれまでの暖かさが嘘のように極端に寒くなった。 酸素ボンベを睡眠用のものに交換し、レギュレターのダイヤルを指示された毎分0.5リッターに合わせる。 今晩は初めて酸素を吸っての睡眠となる。 行動中と違って違和感があると思われたが、僅か0.5リッターでも息苦しくないばかりか指先や体が温まり、まるで酸素療養を受けているような感じがした。 酸欠で苦しんだ昨晩からは想像も出来ないことだ。 図らずもSPO2の数値以上に体は楽になり、気が付くと日付が変わる頃まで熟睡していた。 目が覚めるとお腹の虫が鳴っていた。 それまで鈍っていた胃腸の機能が酸素によって回復し、消化が早まったようだった。


C.3から初めて酸素を使う


C.4に向けて各隊が一斉に登り始める


最初のフィックスロープから渋滞が始まる


C.3から下のキャンプ地からも次々と人が登ってくる


傾斜は次第にきつくなっていくが、フィックスロープを外れて休めるような場所は無かった


霧が晴れて天気は次第に良くなった


中間部でようやく渋滞は解消した


B.Cから仰ぎ見ていた山頂直下のピナクルが手の届きそうな高さになる


C.4手前の急斜面は新雪が蒼氷の上に積もっていて登り易かった


C.4直下のトラバース


待望のC.4(最終キャンプ地)に着く


C.4から初めて山頂(中央奥)が望まれた


C.4に着いた工藤さん


C.4に着いた藤川さんと平岡さん


余裕のるみちゃん


C.4のテントサイト


明日の登頂をサポートしてくれるスタッフのニナ・テンジン


酸素の効果で体調は良く、登頂の可能性が高まった


C.4のテントで工藤さんと


アタック用の酸素ボンベと睡眠用の少し短い酸素ボンベ


夕陽に照らされる山頂(中央)とピナクル(左)


B A C K  ←  《 10月2日 》

N E X T  ⇒  《 10月4日 》

マ ナ ス ル