《 10月1日 》

C.1  ( 5 5 0 0 m ) ⇒ C.2  ( 6 3 0 0 m )

   10月1日、エアーマットはC.2にデポしてあるので代用品のテントマットで寝たが、寒さと地面の凹凸が気になり殆ど眠れなかった。 4時過ぎに起床して外の様子をうかがうと、ありがたいことに満天の星空だった。 昨日の下痢が怪我の功名となり、未明に用を足すことなく予定どおり5時半過ぎにC.1を出発。 寝不足の割には不思議と昨日ほど足は重たくない。 風もなく、今までで一番良い天気になりそうな予感がした。 C.1からC.2の区間が一番の核心なので、この天気は本当にありがたい。 前回の順応ステージの時に見た素晴らしい山々の景色が今日も同じように蘇ってくる。 C.1からは積雪量が一段と増し、トレースの溝は深い所で50センチほどにもなっていた。 

   1時間足らずで上のC.1に着くと、前回にも増して30張り以上のテント村となっていた。 スタッフ達の尽力のお蔭でルートは前回の順応ステージの時とほぼ同じで、フィックスロープも完全に修復されていた。 相変わらず風もなく穏やかで絶好の登山日和だ。 各隊が一斉にアタック体制に入ったため、急斜面のフィックスロープの所では少し待たされることもあった。 セラック帯の中間部の休憩ポイントに着くと、高度障害で苦しんでいる最年少のクリスティーヌをガイドのデーブや同じ国の父親のような存在のヴォルデマースが一生懸命励ましている光景が見られた。 間もなく上のC.1から登ってきた埼玉岳連隊も休憩ポイントに着いた。 

   天候も安定しているので、休憩ポイントからは各々のペースで登ることになった。 作戦どおりユマーリングなどで極力無駄な筋力を使わないよう意識して登る。 今度こそ本当にモンスーンが明けたのだろうか、空の色は群青色のヒマラヤンブルーとなっていた。 気温の上昇と共に雲海が徐々に上がってくる。 セラック帯を過ぎ、C.2まであと僅かとなると暑さが急に増してきた。 外国人隊員の最高齢のデービットが座り込んでいる。 6000mを超える高さで私も長袖のアンダー1枚となった。 今日は工藤さんもペースが上がらず、途中から私が先行する。

   正午前に前回よりも少し早く6時間少々でC.2に着き、B.Cに無線で連絡を入れる。 C.2のテントは全員で泊まった前回の順応ステージの半分になり、その跡地には他の隊のテントが張られていた。 デポ用のテントからデポ品を回収し、空いているテントに入る。 間もなく工藤さんが着いたので、今日も工藤さんと同じテントになる。 暑さで脱水気味だったので、休む間もなく水作りを始める。 昼食は行動食のチーズとクラッカーだ。 テントの中は陽射しがあると暑いが、陽が陰るとその反動もあってとても寒く感じる。 C.2以降は装備や携行品は同じになるので、C.2までに使ったジャケットやオーバーパンツなどとこれから使う羽毛服の上下などを入れ替える。

   夕方のSPO2と脈拍は84と78で、昨日とあまり変わらない数値になり驚いた。 動悸も少なくなり、何とか幸せにC.2の夜を過ごせそうだ。 夕食は一人前食べられると思ったが、食欲はあまり湧かず、アルファー米を3分の1ほど残した。


C.1から見た未明のマナスル


未明にC.1を出発する(正面はマナスル北峰)


新雪で溝のように掘れたトレース


他の隊のC.1(5700m)


ラルキャ(6249m)


上のC.1からセラック帯へ


セラック帯へ入る


セラック帯を登る


セラック帯を登る


雲海に浮ぶナイケピーク(6211m)


セラック帯の中間部の休憩ポイント


セラック帯を登る


セラック帯を登る


セラック帯を登る


セラック帯を登る


セラック帯を過ぎる


C.2への最後の登り


C.2直下(上に見えるコルがC.3)


C.2のテントサイト


C.2のテントで工藤さんと


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マ ナ ス ル