《 9月30日 》

B.C  ( 4 7 5 0 m ) ⇒   C.1( 5 5 0 0 m )

   9月30日、夜中に風がテントを叩いた。 今までB.Cで風が吹いたことは一度もなかったので、昨日の風はモンスーン明けのジェット気流の前兆なのだろうか。 気負いは全く無かったはずだが、肝心な時に鼻づまりで良く眠れず、寝不足で朝から脈拍が71と高かった。 今日も雲は多いが昨日と同じように悪い天気ではない。 

   ポールが下山したので今回の第一次隊の隊員は3名のガイド(デーブ・ハイメ・平岡さん)を除くと、私達4人の日本人の他、無酸素登頂を目指すピエール(フランス/男性)とビリー(ドイツ/女性)、そしてヘルバート(ドイツ/男性)・デービット(イギリス/男性)・ウォーリー(アメリカ/男性)・ヴォルデマース(ラトヴィア/男性)・クリスティーヌ(ラトヴィア/女性)の11人となった。 セルゲイ(ロシア/男性)はスキー滑降のため、チーフガイドのエイドリアンと共に第ニ次隊になった。

   朝食をゆっくり食べ、9時半前に外国人隊員達よりも一足早く全員一緒にB.Cを出発する。 埼玉岳連隊も私達と同じ10月4日の登頂日を選んだようで、モレーンの背を登って行く姿が見えた。 出発直前にモニカから一人一人ハグをされ、熱烈な見送りを受ける。 モニカは「山頂からの無線のコールを楽しみに待っています!」と言って送り出してくれた。 

   モレーンの背に積もった雪の上のトレースを辿って30分ほど登ると、先行していた埼玉岳連隊に追いついた。 B.CからC.1への登りは今回で5回目だったが、降雪によりB.Cからずっと雪の上を歩くようになったので、少しだけ新鮮味があった。 クランポン・ポイントまでは埼玉岳連隊と相前後して登ったが、歩きにくいガレ場が雪で登り易かったこともあり、今までで一番早く1時間半足らず着いた。 今日もクランポン・ポイントからは各々のペースで登っていく。 氷河上のトレースは各隊の往来で溝のように踏み固められていたが、B.Cで5日間も休養していた割には足が重く、今一つ調子が上がらない。 工藤さんは今日も絶好調のようで、その差はどんどん開いていく。 天気は晴れて暑いかと思うと、急に曇ってきて冷たい風が吹いたりして安定しない。 

   1時半前にC.1に着くと、隣にはAG隊のテントがあった。 他の隊のテントは無かったので、埼玉岳連隊は上のC.1のようだ。 前回とほぼ同じ4時間で着いたが、今までで一番疲れた感じがした。 案の定、間もなく軽い下痢の症状があらわれ、お腹の調子が急におかしくなった。 声も少しかすれ気味だ。 C.1に着いた順番でテントに入ることにしていたので、今日も工藤さんと一緒になる。 SPO2と脈拍は87と97で、疲労のバロメーターとなる脈拍がかなり高かった。 昨日綿密に行った食糧計画をもう一度見直し、ギリギリまで明日以降の荷物を減らそうと思案する。 

   午後は水作りに追われながらも体を温めることに専念したので、夕方にはお腹の調子も良くなり安堵する。 夕食もフリーズドライのカレーを完食することが出来た。 夕食後はあまり寒さを感じなくなり、脈拍が78にまで下がった。 明日は5時半に出発するとのことだったが、日没後から小雪が舞い出し、前回と同じような状況になった。 すでに心の準備は出来ていたので、気持ちの焦りは少なかったが、明日は何とかC.2まで辿り着けることを願わずにはいられなかった。


バレーボールのネットで豪快にシュラフを干す


出発直前にモニカから熱烈な見送りを受ける


アタックに向けて全員一緒にB.Cを出発する


先行していた埼玉岳連隊に追いつく


クランポン・ポイント


今日も工藤さんが先行する


氷河上のトレースは各隊の往来で溝のように踏み固められていた


C.1のあるナイケコル


C.1の手前から仰ぎ見たピナクルの岩峰


5度目のC.1に到着する


C.1のAG隊のテント


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