《 9月22日 》

B.C  ( 4 7 5 0 m )

   9月22日、夜中に少しお腹が痛くなったので、昨夜少し食べ過ぎたのかと思ったが、外が明るくなって目が覚めると下痢の症状が始まっていた。 今回の遠征では初めての下痢で、いつもは何でもないトイレが遠く感じた。 昨夜までは全く順調だったのに、何でまたこのタイミングで下痢になったのか全く思い当たる節がなく、その間の悪さを嘆かずにいられなかった。 

   朝食は平静さを装いつつヨーグルトだけで済ませ、午前中はとにかく静養しようと個人用テントに直行するつもりだったが、朝食後にラッセルからアタック日にマンツーマンでサポートしてくれるスタッフとの顔合わせをするという話があった。 アタック日のスタッフが誰になるかは私にとっても一番の関心事で、この日が来るのを楽しみにしていたが、熱もあるのか足がガクガクして立っているのも精一杯の状態だった。 ラッセルからスタッフの名前と一緒になる隊員の名前が交互に読み上げられ、各々が握手をしながら挨拶を交わしていく。 私にはニナ・チェリというどちらかと言えば年配のスタッフが付くことになった。 体に全く力が入らないが、作り笑顔で固い握手を交わす。 ニナ・チェリと親睦を深めるため、自己紹介や世間話でもしたかったが、今はそれどころではなかった。

   スタッフとの顔合わせが終わると、昼食までの間個人用テントでシュラフにくるまって横になった。 間もなく第一次隊の軍人チームがC.1に向けて出発して行ったが、見送ることも出来なかった。 今日でなければすぐにでもモニカに診てもらうが、もしドクターストップにでもなったら全てが水の泡なので、何とか自己解決を図るしかなかった。 午前中は良い天気が災いしてテントの中が暑くなり不快だったが、ひたすらそれにも耐えるしかなかった。 下痢は収まったが、今度は熱で体の節々が痛くなってきた。 どうやら下痢というよりは高熱の風邪のようだった。 朝よりもさらに悪くなった今の体調では昼食も食べられないので、その時点で皆に今の体調を打ち明けるしかないだろう。 悪寒がする今の状態も最悪だが、C.1に出発する明日の朝もこの状態だったらどうしようかと、先のことばかり心配して気持ちが焦る。 

   昼食には少し遅れて顔を出し、時間をかけてサンドイッチを半分ほど食べる。 昼食後は意を決して平岡さんに今の体調を説明し、平岡さんに付き添われてモニカの診察を受けた。 下痢は止まり熱はこの時点で37度だったので、モニカからアスピリンの錠剤だけが処方された。 症状は高度障害によるものではなかったので、モニカもさほど心配していないようだった。 アスピリンを毎食後に飲み、明日の朝また診察室に来るように言われた。 意外にも平岡さんもお腹の調子が悪いようでモニカから薬をもらっていた。 ここ数年風邪をひいたことがなかったので、薬を飲むのも久しぶりだった。

   明日の準備もしなければならないが、午後もひたすら個人用テントで寝続けた。 アスピリンが効いたのか、夕方になってようやく少し体が楽になったが、元々なぜ急に熱が出たのか原因が分からないので、まだまだ安心は出来なかった。 夕食も時間をかけていつもの半分ほど食べる。 平岡さんは下痢が治らないのか、夕食の席に顔を出さなかった。 症状の違いはあるが、もしかしたら原因は同じなのかもしれないと思った。


午前中は久しぶりに青空が覗いた


アタック日にマンツーマンでサポートしてくれるスタッフとの顔合わせ


一緒にアタックすることになったニナ・チェリ(後で変更になった)


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