《 9月20日 》

B.C  ( 4 7 5 0 m )

   9月20日、昨夜からの小雨は夜半から本降りとなった。 予想どおり良く眠れたが、夢も沢山見た。 C.1やC.2では夢を見た記憶がない。 C.2との標高差は1500mほどだが、まるで天国と地獄ほどの差がある。 起床後のSPO2と脈拍は90と55という理想的な数値となった。 疲労により鼻水が少し出ているが、この数日間のレストでこれも完治させ、完璧な体調に戻すのがこれからの作業だ。 朝食後にラッセルから予定どおり登頂予定日は26日(軍人チーム)と27日(一般チーム)にするとの話があったので、私達のレストの日は今日を入れて3日間となった。 天気予報では28日以降も天気は良いが、上空のジェット気流(風)が強まってくるようだ。 もし予定どおり順調に登頂出来れば、今月中にカトマンドゥに戻れることになり、日本にも1週間以上早く帰れるので、良いことづくしだ。

   午前中は雨が降り続いていたので個人用テントで本を読んでいると、埼玉岳連隊の細谷さんがやってきた。 埼玉岳連隊は高所順応を前回のC.2泊の1回のみで、もうアタック待ちの体制に入っているとのことで驚いた。 3時にいつもスタッフが作ってくれるという太巻き寿司を持ってまた遊びに来てくれるとのことだった。 

   昼食後にラッセルから、アタックステージでの各キャンプ間の登りの制限時間と出発時間について次のような指示があり、制限時間内で登れなかった人はその時点でB.Cに下りるようにとのことだった。 @B.CからC.1へは制限時間5時間でB.Cの出発時間は8時。 AC.1からC.2へは制限時間7時間でC.1の出発時間は5時。 BC.2からC.3へは制限時間4時間でC.2の出発時間は7時。 CC.3からC.4へは制限時間7時間でC.3の出発時間は5時から7時の間。 DC.4から山頂へは制限時間6時間でC.4の出発時間は3時(12時起床)。 当初エイドリアンはこれよりもさらに1時間短い時間を提案したが、最終的にラッセルがこの時間に決めたとのことだった。 酸素ボンベは1人当たり4本用意され、それ以上は別料金となるということだったが、制限時間との関係から足りなくなることはないようだ。 尚、酸素はC.3からC.4間では2リッター、C.4での睡眠時は0.5リッター、アタック日は4リッターを吸うが、アタック日はスタッフが途中で換えてくれるとのことだった。 また酸素マスクはイギリス製の『TOP・OUT』(トップアウト)という製品で、従来使われていたロシア製の『ボイスク』等に比べて性能が30%もアップしているとのことだった。 明日は酸素ボンベとマスク、そしてレギュレターの使い方の説明を行い、その後は各人に貸与するので下山するまで各々が管理するとのことだった。

   午後はアタックステージ(5泊6日)のアルファー米やフリーズドライの食糧と行動食を、上部キャンプにデポしてあるものと調整しながら無駄なくかつ必要なものだけをチョイスする。 約束の3時に埼玉岳連隊の大山さんと細谷さんが太巻き寿司を持って現れた。 風間さんはC.2での順応以来お腹の調子が悪くテントで静養しているとのことだった。 久しぶりに口にする酢飯の味が懐かしく、2時間ほど山の話しに花が咲いた。 外の雨は激しく降り続いていたが、雪にならないところを見ると気温は体で感じるほど低くはないのだろう。


全ての順応ステージを終えて静まり返った朝のB.C


アタックステージでの食糧をチョイスする


埼玉岳連隊の大山さんや細谷さんと談笑する


埼玉岳連隊から差し入れのあった太巻き寿司


デザートのアップルパイをカットするHIMEXのブロガーのビリー(今回は無酸素登頂に挑む)


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