《 9月19日 》

C.2  ( 6 3 0 0 m ) ⇒ C.1  ( 5 5 0 0 m ) ⇒ B.C ( 4 7 5 0 m )

   9月19日、5時に起床。 未明から小雪が舞い始め、天気は悪そうだった。 昨夜は12時くらいまでは良く眠れたが、それ以降は息苦しい感じが続き、朝まで殆ど眠れなかった。 夜中は常にSPO2が60台で軽い頭痛があり、起床後のSPO2と脈拍は72と68だった。 食欲もあまり湧かず、朝食は昨夜の余ったアルファー米にチキンラーメン3分の2を食べるのが精一杯だった。 6300mの高度に泊まり、6700mにタッチしてまた6300mに泊まるということが想像以上に体にダメージを与えていることを体験した。 今回のC.2での2泊は順応の訓練にはなったものの、まだこの高度に順応出来ていないことが分かり、アタックステージに向けて不安材料が残った。 6時過ぎに雪が止んだので、ようやく我慢していたトイレに行く。 シットバック(携帯トイレ)が本当にもどかしい。 昨夜ノートに記したデポ品を再度チェックし、生地の厚い二重のスタッフバックに入れてデポ用のテントに置く。 デポ用のテントにはすでに大量の酸素ボンベが置かれていた。 

   ビーコンの作動チェックを受けて7時にC.2を出発しB.Cに向かう。 3日前にB.Cを出発した時は、3泊4日の順応でB.Cに戻ってくることがとても煩わしく、そのまま一気に山頂まで登ってしまいたいと思っていたが、今の状態では上に行く自信は無く、早くB.Cに戻りたいという気持ちの方が強かった。 天気は悪いが風が無いので行動するにはちょうど良い。 次回のアタックステージでの登りで少しでも役に立つように、複雑なセラック帯のルートをしっかり目に焼き付けながら下る。 このC.1からC.2の間をいかに体力を使わずに登るかによって、C.2以降の行動が楽になることは確かだ。 他の隊のようにC.1を少しでも上に建設し、C.2までの行動時間を短くしようとするタクティクスも頷ける。 

   C.2から2時間弱でC.1に到着。 私達の隊のテントは半分に減り(アタックステージでは隊を二つに分けて一日ずらすため)、代わってAG隊のテントが設営されていた。 C.1のデポ品を倉庫内で再度チェックし、“通い慣れた道” をB.Cへ下る。 次回ここを下る時は勝利の凱旋となるのか、それとも失意の下山となるのか、そんな発想がふと頭に浮かんだ。 B.Cに近づくにつれ皆の足取りも軽くなったような感じがした。 

   11時に小雨の中をB.Cに下山。 C.2からは正味4時間足らずだったが、殆ど休まずに下ったのでとても疲れた。 着替えをしてからダイニングテントで昼食となったが、食欲は回復して何でもおいしく食べられた。 お湯がいつでも自由に使え、食べ物も豊富にあるB.Cは本当にありがたい。 長かった3回の順応ステージも終わり、昼食後は久々に皆でお喋りを楽しんだ。 夕食はラム肉のステーキで、今日は迷わずおかわりをした。 デザートは登頂祈願のケーキだった。 寝る前のSPO2と脈拍は83と62で、今回の順応前とあまり変わらなかった。


B.Cへ下る支度をする


C.2からB.Cへ下る


セラック帯を下る


セラック帯を下る


セラック帯を下る


セラック帯を下る


セラック帯を下る


C.1のテント(右がHIMEX隊 ・ 左がAG隊)


C.1から“通い慣れた道”をB.Cへ下る


小雨の中をB.Cに下山する


B.Cでは食欲が回復し、何でもおいしく食べられた


夕食のラム肉のステーキ


『CAMP2 NOW SUMMIT』と書かれた登頂祈願のケーキ


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