《 9月17日 》
C.1 ( 5 5 0 0 m ) ⇒ C.2 ( 6 3 0 0 m )
9月17日、4時前に起床。 夜中に少し雪が降ったようで、うっすらとテントに積もっていた。 起床後のSPO2は70と80の間で安定しない。 睡眠不足で体調は良くないのだろうが、緊張感があるためか高山病の症状はない。 予定どおり5時前にB.Cから2名のスタッフがサポートに上がってきてくれた。
少し出発の準備が遅れ、5時過ぎにC.1を出発する。 今日も不思議と風は全くない。 眼前には神々しいマナスル北峰のシルエットが暗闇に浮んでいる。 次第に夜が白み始め、マナスルがモルゲンロートに染まる素晴らしい景色を堪能する。 前回の順応ステージでは曇天で全く見られなかったラルキャ(6249m)などの周囲の山々も見えるようになった。 るみちゃんは昨日よりもペースが上がり、体調は良くなったみたいだ。 昨夜の新雪が少し積もっているので氷河が白くて綺麗だ。 上のC.1にもだいぶテントの数が増えてきた。 相変わらず風もなく、絶好の登山日和となり安堵する。
意外にも前回の順応ステージの初日に到達した5800m地点の手前からルートは左に大きくトラバースし、前回とは正反対の方角に向かっていた。 長いトラバースが終わるとセラック帯に突入し、フィックスロープをユマーリングしながら登る。 前回のルートよりも複雑で部分的に非常に急な所もあり、荷物の重さも手伝って苦しい登高が続く。 C.1からC.2までの間が一番の核心ということだったが、正にそのとおりだった。 大きく口を開いたクレバスにはアルミの梯子も架けられていて、スタッフやエイドリアンのルート工作には、ここ数年マナスルを続けて登っている経験が生かされている感じがした。 気温の上昇で次第に霧が湧いてきたが、陽射しが強烈なので涼しくてちょうど良かった。 そろそろC.2も見えてくるだろうと思った頃、誰の指示だか不明だが、数人のスタッフがC.2から下りてきて私達のザックを背負ってくれた。 私はザックにカメラや水筒を付けていたので、紐で括り付けた食糧の入ったサブザックを託した。
正午前にようやく待望のC.2(6300m)に着いた。 今回は工藤さんと一緒のテントになる。 藤川さんはるみちゃんと、平岡さんはセルゲイと一緒になった。 C.1からC.2の制限時間は7時間だったが、休憩を殆どしないで6時間半を要した。 C.1は地面が平らだったが、C.2は少し傾斜があるので整地してもテントの建て付けが悪い。 休む間もなく水作りを始めるが、体が酸欠になっているのでビニール袋に雪を集める作業も辛かった。 ライターで火を着ける度にひび割れた親指が痛い。
夕方前から小雪が舞い出す。 顔が少しむくんでいるような感じがしたが、夕方のSPO2と脈拍は73と74で、何故か脈が意外と低かった。 鼻腔に詰まった鼻糞を取ろうとしたら鼻血が出てしまった。 夕食はアルファー米とフリーズドライのカレーを食べる。 食欲はC.1よりもさらに落ち、一人前のアルファー米を完食出来なかった。 今日は今までで一番高い睡眠高度を経験することになるが、日没後の7時にシュラフに入ると間もなく妙な振動がしてきた。 初めは高度障害による動悸かと思ったが、次の瞬間ドーンと凄い圧力を体が感じた。 “雪崩だ!”と気が付き、急いでシュラフから飛び出してテントのファスナーを開けると、すでに外に出ていたガイドや隊員もいた。 しばらく様子をうかがっていたところ、ガイド達の談笑する声が聞こえてきたので安堵した。 雪崩は確かに起きたようだが、だいぶ遠くで全く問題はないようだった。 翌日B.Cから入った情報では、ネパール国内で地震があり、カトマンドゥ郊外では数人の死者も出たとのことだった。