《 9月12日 》

B.C  ( 4 7 5 0 m )

   9月12日、天気は朝から小雨模様だ。 早朝から丘の上のテントサイトのプジャの太鼓の音が響き渡っている。 風邪と同じような症状で体がだるく熱っぽかったが、原因は酸欠によるふくらはぎの筋肉痛だということが起きてから分かった。 程度の差はあるが、皆も同じような症状のようだ。 起床前のSPO2と脈拍は82と59で、起床後は88と72だった。

   朝食後にエクアドル人のガイドのハイメと平岡さんを交えて雑談を交わすと、エクアドルの最高峰のチンボラソは北面からの新しいルートで登られているという話や、コトパクシの縦走ルートなどの耳寄りな情報があり、マナスルに登る前から次の山の計画で大いに盛り上がった。 天気は悪いが、C.1からC.2へのルートをより安全なものにするためのルート工作に、エイドリアンはスタッフ達と一緒に出掛けて行った。 

   高所順応の第3ステージとして、明後日からC.1(5500m)に1泊、C.2(6300m)に3泊し、C.3(6700m)にタッチすることになっているが、平岡さんから日本人隊は休養日を1日追加してC.2での宿泊を1泊減らすというタクティクスをラッセルに相談するという案が出された。 

   正午のSPO2と脈拍は82と61、天気は午後も相変わらず悪く、モンスーンらしくなった。 昼食後は少し離れた丘の上に設営された埼玉岳連隊のテントを訪ねる。 その途中でサマ村からちょうど上がってきたAG隊の近藤さんと梶山さんに偶然出会った。 AG隊がそろそろ来ることは分かっていたので驚かなかったが、二人もまるで私がここにいることを知っていたかのようだった。 AG隊の隊員は男性が5人、女性が4人とのこと。 カトマンドゥでは埼玉岳連隊と同じホテルだったようだ。 これで日本人隊は総勢3隊となった。 埼玉岳連隊のテントで、大山さん、風間さん、そして細谷さんとしばらく歓談する。 隊長の大山さんは普通のサラリーマンとして海外遠征登山を実践してきたパイオニアでもあり、休暇の取り方や遠征費用などの話に及ぶと、同じ境遇で話が弾んだ。 昨年は大山さんと風間さんの二人の隊でチヨ・オユーを29日の期間で登れたので、今回もその経験を活かして短期決戦で臨まれるという。 今回の順応はC.2(6300m)までで、C.3(6700m)にはタッチせずにアタックするとのことで、アタック日は私達の隊と同じ日にするようだ。 HIMEX隊のスタッフがルート工作をしてくれるので、ボッカを自分達のスタッフに委ねることが出来るため、サーダーを通じてHIMEX隊にフィックスロープの使用料を事前に支払っているとのことだった。 

   3時のSPO2と脈拍は83と66だった。 今度は埼玉岳連隊の三人がHIMEX隊のテントに訪れ、再び山の話しで盛り上がる。 埼玉岳連では大山さんを中心とするメンバーで8000m峰14座を全て登るというプロジェクトが始動しているらしい。 

   夕食後のSPO2と脈拍は86と62だった。 ラッセルから今後のスケジュールについての説明があり、高所順応の第3ステージとして、明後日からC.1に1泊、C.2に2泊してからC.3にタッチしてC.2に1泊、その後はB.Cに下山してアタック日まで4日程度休養を兼ねて待機し、最後のアタックステージでは隊を一般人と軍人チームに分けて、一日ずらして登頂を目指すとのことだった。


朝食の準備をするキッチンスタッフ


B.Cに上がってきたAG隊の近藤さん(左) ・ 梶山さん(右)と偶然出会う


埼玉岳連隊のテントを訪ねる  大山さん(右) ・ 風間さん(左上) ・ 細谷さん(右上)


埼玉岳連隊の三人がHIMEX隊を訪れる


夕食の肉じゃがと豆のシチュー


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