《 9月11日 》

C.1  ( 5 5 0 0 m ) ⇒ 6 0 0 0 m 地点 ⇒ C.1  ( 5 5 0 0 m ) ⇒ B.C  ( 4 7 5 0 m )

   9月11日、5時に起床。 頭痛はなかったが空腹のせいか夜中に何度も目が覚めた。 夜中のSPO2の最低値は64だったが、起床後のSPO2と脈拍は78と58でまずまずだった。 

   カップラーメンを流し込み、6時半過ぎにガイドのデーブからビーコンの動作チェックを受けてC.1を出発。 雪はテントの周りで数センチ積ったが、今は青空が僅かに覗いている。 今日も不思議と風は無く、ジャケット無しで登り始める。 最初の1時間ほどは昨日登ったルートなので気は楽だ。 意外にも大柄なポール(オーストラリア)が遅れ、私達の後から登ることになった。 今日は先行している外国人隊員達のペースが昨日以上に遅くなり、いつものように引き離されることはなかった。 逆に私達は昨日の最終到着地点までは昨日よりも少し早いペースで登ることが出来た。 

   しばらく休憩した後、ストックをデポし、眼前のセラック帯を右から回り込んで急な雪壁に取り付く。 ユマールとピッケル(下りは懸垂)を駆使して登ったが、ここもフィックスロープは同じ材質のナイロンだったので驚いた。 本当に耐久性は問題ないのだろうか?。 初めのうちはピッケルを打ち込んで雪壁を登っていたが、一部が雪から氷に変わってきたので、両手で拝むようにユマーリングしながら登る。 7〜8歩登っては体をロープに預け、10秒ほど休むことを繰り返す。 高所では非常に負荷のかかる場所だ。 今日はほぼ空身だが、次回以降はここをボッカしながら登らなければならないし、本番アタックの時は高所靴で登らなければならないので、さらに負荷がかかって大変だろう。 

   急な雪壁が終わると傾斜の緩やかな道となったが、前を登る工藤さんのペースが遅くなった。 やはり高所靴では登りにくのだろう。 再び急な雪壁となり、30mほどユマーリングで登ると、その上は広場になっていて先行していた外国人隊員達が寛いでいた。 間もなく上から下ってきたエイドリアンから、この先は気温の上昇で雪の状態が悪いので、ここで打ち切りにしますという指示があった。 標高は平岡さんのGPSで6000mを少し超えていた。 C.1からの標高差は500mほどで、C.1からC.2への行程の3分の2ほどを登ったことになる。 今日も順応のためそこで1時間ほど滞在してからC.1へ下る。 

   11時半過ぎにC.1へ戻り、食べなかった食糧・テルモス・ジャケット・薄手の羽毛服の上下・エアーマット・テントマットなどを二重の袋に詰めてC.1の倉庫にデポし、携帯トイレを背負ってB.Cに下る。 C.1から下は雨だったのか、氷河の雪がだいぶ溶けて黒々としていた。 今日も午後から曇りとなり、涼しくて助かる。 クランポン・ポイントからは小雨となって肌寒くなったが、ジャケットはC.1にデポしてきたので、長袖のシャツ一枚のままで下る。  2時半に待望のB.Cに下山。 他の隊のテントが一気に増え、上から見ているとお花畑のようで面白かった。 個人用テントに着くと、今日B.Cに上がってきたという埼玉岳連の細谷さんが挨拶に来てくれた。 事前に新聞やネットの情報で大山光一さんを隊長とする3人のメンバーが来られるということは分かっていたが、どうやら私の父が同じ市内に住む細谷さんに私の出発後に電話をしたようだった。 

   着替えをしてからダイニングテントでキッチンスタッフが作ってくれた揚げたてのフライドポテトをつまみながら皆で談笑する。 高所順応の第2ステージを無事終えたことで気も緩み話が弾んだ。 夕食には木のプレートと厚い鉄板の上に乗ったステーキが出てきて驚いた。 夕食後は早々に個人用テントに戻った。 疲れていたのですぐに眠りに落ちると思ったが、体がだるかったり、お腹が張ったり、左手の中指の爪が乾燥で割れて痛かったりして一晩中眠れなかった。


ガイドのデーブからビーコンの動作チェックを受けてC.1を出発する


昨日の最終到着地点


先行する外国人隊員達


セラック帯の下を右からトラバースする


急な雪壁をユマールとピッケルを駆使して登る


6 0 0 0 m の最終到着地点


6 0 0 0 m 地点から急な雪壁を下る


昨日の最終到着地点付近を下る


上のC.1からC.1へ下る


C.1に戻る


C.1を後にする


B.Cに下山する


夕食のステーキ


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