《 9月10日 》

C.1  ( 5 5 0 0 m ) ⇒ 5 8 0 0 m 地点 ⇒ C.1  ( 5 5 0 0 m )

    9月10日、夜中じゅう細かい粒の雪が降っていた。 頭痛で2回起きたが、疲れていたのか水分補給なしで寝てしまう。 3回目の頭痛で起きた時が、5時半の起床予定時間だった。 SPO2が62しかなかったので、深呼吸により80台まで上げる。 慌しくお湯を作り出発の準備をしていると、新雪が多く危ないとのスタッフの判断でC.2へは行かないことになった。 まだ順応が不十分なので、この中止は正直ありがたかった。 C.1、出来たらC.2をB.Cと思うくらい順応していなければ登頂はおぼつかないだろう。 朝食を食べると体が温まり、激しい睡魔に襲われて1時間ほど寝る。 工藤さんから「モノトーンの景色が素晴らしいですよ〜」とテントの外から声が掛かったが、起き上がる気力がなかった。 8時頃になってようやくSPO2が84まで上がりホッとしたが、マッキンリーの時と同じように指先が紫色に変色していた。 間もなくエイドリアンがテントを訪れ、9時半に上のC.1辺りまで1時間ほど登りに行くという指示があった。 

    スタッフが先導し、待ちきれない外国人隊員達が9時半前に出発。 私達は少し間をおいて9時半過ぎに出発する。 天気は少し回復し、青空が僅かに覗いている。 風も無く寒くなかったので、ジャケットなしで登る。 るみちゃんが先頭になったが、今日は快調に登って行く。 逆に私はるみちゃんのペースについていくのが精一杯だった。 先頭のスタッフのラッセルが大変なのか、上手く順応していないのか、屈強な外国人隊員達も昨日までと比べてペースが遅かった。 ルート上にはフィックスロープがほぼ100%張られていたが、ユマールを使うほど急な斜面はなく、カラビナだけを掛けて登る。 まだテント村が出来ていない上のC.1を過ぎ、1時間ほど登った辺りから新雪が多くなり、次第に登りにくくなってきた。 意外にも一番若いクリスティーヌ(ラトヴィア)がバテ気味になっていた。 

    出発してから1時間半ほどで前方にセラック帯が立ちはだかり、そこで今日の順応行動は終了となった。 C.1からの標高差は僅か260m、標高は平岡さんのGPSで5800mほどだったが、順応不足でとても疲れた。 予定どおりC.2を目指していても、果たして辿り着けたかどうか疑問である。 最終到着地点には総勢30名の隊員やガイドが集い大賑わいだ。 エイドリアンとセルゲイ(ロシア)がスキーで滑降していく。 すばらしい技術と体力だ。 日本人でここまで出来る人はごく僅かだろう。 二人はもちろん山頂から滑る計画だ。 隊員のセルゲイはともかくエイドリアンはチーフガイドであるが、これを容認している隊長のラッセルも太っ腹だ。 風は全くなく暖かかったので、1時間ほど順応のためそこに滞在する。 下りは新雪に足を取られながらも30分ほどでC.1に着いた。

    お昼は昨日のご飯の余りとチキンラーメンとネパール製のラーメンを藤川さんと半分ずつ食べたが、C.1だとまだB.Cの半分ほどしか食べられない。 昼食後は迷わず昼寝を決め込んだ。 夕方前から小雪が舞い出し、いつもと同じような天気になった。 意外にも夕方のミーティングでエイドリアンから、予定では明日はB.Cへ下山するだけだったが、C.2にタッチしてから下山することに変更し、下山後はB.Cで2日間休養するという指示があった。 今も小雪が降り続いている状況で明日C.2まで行けるのだろうか?。 皆の顔には“明日は大雪にならないかな〜”と書いてあったが、るみちゃんの情報では、今日軍人チームのメンバーで順応に行けなかった人がいたことや、クリスティーヌのモチベーションが下がっていることなどが背景にあるようだった。 ミーティングの最後にエイドリアンからビーコンの使い方についての説明があった。 明日は今日よりも30分早い6時半の出発となった。 SPO2の低下を危惧し、夕食は軽くスパゲティーだけにした。 夕食後のSPO2と脈拍は85と70になって安堵した。


前夜からの降雪のためC.2までの高所順応は中止になった


スタッフが先導し、外国人隊員達が先行する


C.1から上のC.1へ


セラック帯手前の緩やかで幅の広い雪稜


屈強な外国人隊員達も昨日までと比べてペースが遅かった


5 8 0 0 m の最終到着地点


スキーでC.1へ滑るエイドリアン(右)とセルゲイ(左)


5 8 0 0 m 地点からC.1へ下る


C.1へ戻る


午後は各々C.1で寛ぐ


夕方のミーティング


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