《 9月3日 》

B.C  ( 4 7 5 0 m )

   9月3日、雨はみぞれ混じりの雪となって未明にかけて降っていた。 心配していた頭痛はSPO2が低いにもかかわらずあまりひどくなく、夜中に3〜4回比較的軽い頭痛で目が覚めたほどだった。 深呼吸を15回ほどすると3分ほどで頭痛はなくなり、疲れているのですぐにまた眠りに入った。 夜中のSPO2の最低値は55で起床前は71だった。 外でるみちゃんの声がしたので慌ててテントから顔を出すと、昨夜からの悪天が嘘のように雲一つない快晴で、眼前にマナスルのシンボルのピナクルの岩峰が圧倒的な高さで望まれた。 もちろん昨日までサマ村から仰ぎ見ていた中国との国境のサムド(6335m)も間近に見えた。 澄みきった青空を背景に山々の写真を撮っていると、“マナスル=悪天候”という当初思い描いていたイメージが払拭された。 

   朝食前のSPO2と脈拍は82と77になり、最低限度の順応はしていたようだ。 サマ村での4泊は結果的にはベストだった。 朝食はパンケーキにベーコン、そぼろ玉子、豆のトマトソース煮などだったが、下界の味と変わらない感じで、日本食でなくても全然大丈夫だ。 朝食後はラッセルからスタッフの紹介があり、一人一人の名前をそらで読み上げていた。 スタッフの紹介が終わると、引き続きラッセルから施設の案内があった。 共用テントは12張あり、隊員用のダイニングテントが2張、スタッフ用が1張、スタッフの寝室用が3張、本部兼通信室・キッチン・食糧倉庫・備品倉庫・トイレ・シャワールームが各1張だが、まだ一部が出来上がっていないというから驚きだ。 トイレはタンク式になっており、環境に配慮して汚物は垂れ流しにすることなくヘリでサマ村に降ろすとのことだった。 シャワールームには手押しのポータブルシャワーが置かれていたが、お湯を沸かすコストが高いので、週に1回くらいにして欲しいとラッセルの冗談めいた話があった。 通信室にはソーラーパネルによる充電器があったが、大勢の人が使うため結果的にはとても使いにくい状況だった。 B.Cは思っていた以上に広く、他の隊よりも早くスタッフがB.C入りした我がHIMEX隊が一番低くて広い場所を独占していた。 上部のキャンプサイトにはまだこれから他の隊が続々と来るようだ。 日本からは他に近藤さんを隊長とするAG隊と大山光一さんを隊長とする埼玉岳連隊が入山することがこの時点で分かっていたが、結局それ以外の日本人隊の入山はなかった。 施設の案内が終わると今度は医師のモニカから、過去の入院歴・今の健康状態・薬の服用の有無・過去に登った最高高度の山とその時に高山病の症状が出たかなどについての問診と、血圧・SPO2・脈拍の測定があった。 普段は底抜けに陽気なモニカも仕事になると真剣だ。

   個人用テント(我が家)に戻り、入口や瓦礫の土台を整地して住み易くする。 折り畳み式のイスを真ん中に置いたが、これが非常に快適だった。 陽射しが強いと個人用テントでは暑いのでダイニングテントに行き、日が陰ると個人用テントに戻る。 時々くる軽い頭痛を除けば全く快適なB.Cで4750mの高度を感じない。 午後からは曇りとなり、一気に寒くなる。 個人用テントと共用テントの間は綺麗に整地された未使用の広いスペースがあったので、ヘリポートにでもなっているのかと思っていたが、何とスタッフ達は支柱にネットを張ってバレーボールの試合を始めたので驚いた。 この高さで普通に運動が出来るのだから高所には強いわけだ。 夕方前から弱い雨が降り出し、夜には本降りとなった。


壮観なHIMEX隊のテントサイト


ダイニングテントでの朝食


B.Cから見たマナスル(ピナクル)


B.Cから見たナイケ・ピーク(6211m)の側壁


B.Cから見た中国との国境のサムド(6335m)


スタッフ一人一人を紹介するラッセル


シャワールーム


キッチンテント


医師のモニカの健康診断を受ける


個人用テントに折り畳み式のイスを置く


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マ ナ ス ル