《 9月2日 》

サマ村  ( 3 5 3 0 m ) ⇒ B.C  ( 4 7 5 0 m )

   9月2日、昨夜は初めて雨が降らなかったが、今朝はマナスルの山頂は厚い雲で見えない。 体調は引き続き良く、起床前のSPO2と脈拍はそれぞれ88と58だった。 予定どおり6時に朝食を食べ、9時に出発するという外国人隊員達よりも一足早く7時前にキャンプ地を出発する。 B.Cまでの標高差は1200mほどあるので、ゆっくり歩いて7〜8時間は掛かるだろう。 

   ブリ・ガンダキ川に沿って進み、ナイケ・ピーク(6211m)を望みながらB.Cへの道を辿る。 最初のうちは3日前にハイキングで歩いた道なので記憶に新しい。 1時間ほどで『ジャパニーズ・ベースキャンプ』を過ぎ、マナスル氷河の舌端を左手に見ながらジグザグに登り高度を稼ぐ。 途中に集落はないが、登山隊の荷上げで多くの村人やヤクが通るためか、道はしっかりとしている。 途中何本かの沢を渡り、4000mを超えた辺りで早くも外国人隊員の先頭グループに追いつかれる。 聞けば予定より早く8時に出発したとのことだったが、それにしても皆一様にペースが速い。 外国人最高齢のデービット(65歳)は上半身裸で登っていた。 トレイルの傾斜が強まってくると間もなくモレーンの背に上がり、霧で視界が悪くなった岩屑の痩せ尾根を黙々と登る。 風に吹かれると嫌な所だが、ありがたいことに今日は無風だった。 もっとゆっくり登りたかったが、今にも雨が降ってきそうだったので私達も足早に登る。

   予定よりもだいぶ早く正午過ぎにB.Cに到着。 霧が深く立ち込めていて周囲の状況は全く分からないが、殆どの外国人隊員達は私達よりも前にB.Cに着いたようだ。 個人用テントの指定はないので、早い者勝ちで好きなテントを選び、とりあえず中に入って一服する。 B.Cでは一人に一つのテントだ。 テント内には硬質のウレタンマットが敷かれていたが、さらにその上にスポンジの薄いマットレスが配られた。 これだけでも充分だが、今回の長期滞在に備えて持参した厚さ5センチのエアーマットを敷くと、寝心地は普段の生活と変わらないレベルになった。

   すぐにダイニングテントに昼食が用意されたが、厨房の設備がサマ村のキャンプ地よりも整っているため、料理がとても美味しい。 間もなくサマ村のポーター達によって荷上げされた荷物が届き、個人用テントに搬入する。 ポーターの中には子供達もいて賑やかだ。 霧が少し晴れると、山中のB.Cとは思えないほど壮観なHIMEX隊のテント村が出現した。 荷物を解いてテント内を自分の部屋のように色々とレイアウトする。 一か月ほどここで過ごすわけだから入念にやるが、この作業が意外と楽しい。 トレッキング隊やガイドさんの分も合わせると30張り以上の個人用テントがあるので、昨日ラマ僧から授かったタルチョを目印代わりにテントの入口に括り付ける。 間もなく雨が降ってきたが、テントサイトの水はけは非常に良く全く問題なかった。 さあ、これからは頭痛との闘いだ。 テント内も11℃と高所らしく冷えてきた。 15分おきにパルスオキシメーターでSPO2を測り、下界では出来ない色々な深呼吸を試す。 夕食の時間まで文庫本を読みながらこの地味な作業を繰り返し行った。

   夕食は毎日6時半からで、キッチンスタッフがフライパンを叩いて合図してくれる。 ダイニングテントや配膳の仕方はサマ村のキャンプ地と全く同じだ。 まだ生肉などの食材が届いてないので料理はシンプルだが、味付けやセンスはとても良い。 工藤さんは相変わらず食欲旺盛で、外国人隊員達よりも沢山食べていた。 夕食後のSPO2と脈拍はそれぞれ78と72で、良くも悪くもない数値だった。


ナイケ・ピーク(6211m)を望みながらB.Cへ向かう


3日前の順応ハイキングの終了点付近


マナスル氷河の舌端を左手に見ながらB.Cへの道を辿る


マナスル氷河の舌端


B.Cまで何本かの沢を渡る


上半身裸で登る外国人最高齢のデービット


ウスユキソウのような高山植物


B.C直下の長い痩せ尾根


霧に煙るB.Cに着く


B.Cの個人用テント


今日のディナー


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マ ナ ス ル