《 8月31日 》

サマ村  ( 3 5 3 0 m ) ⇒ 高所順応  ( 4 1 0 0 m ) ⇒ サマ村  ( 3 5 3 0 m )

   8月31日、この時期(雨期)の特徴なのだろうか、昨夜と同じように夜中は小雨が降っていたが、朝には止んだ。 相変わらず頭痛はないが、息苦しさあるいは軽い動悸で1時間半に一度くらいの間隔で目が覚めた。 深呼吸をするほどでもなく、またいつの間にか寝てしまうということの繰り返しだ。 起床前のSPO2と脈拍はそれぞれ85と60で、起床後は89と64だった。

   今日は昨日のB.C方面への道とは正反対の方向に山道を辿り、4100m付近まで高所順応のハイキングに出掛けた。 今日も歩くペースの速い外国人隊員達の後から出発する。 人口数百人のこぢんまりとしたサマ村の中心を抜け、起伏のない道をしばらく歩くと、左手に真新しい青い屋根の学校のような建物が見えた。 その僅かに先の分岐を右に折れて山道に入る。 るみちゃんはお腹の調子が優れないとのことで、無理をせずここで引き返すことになった。 すぐに急坂の登りとなり息が切れる。 健脚の工藤さんは前を行く外国人隊員と同じペースで登っていき、間もなく視界から消えた。 しばらく登ると氷河から流れ出す乳白色の荒々しい川と合流する。 川の水しぶきが飛んでくる急坂をひと登りすると、今度は一転して平らな草原となった。 生憎の曇天で周囲の展望はないが、順応が目的と割り切れば涼しくて快適な山歩きだ。 草原にはヤクや馬が放牧されていた。 

   ゆっくりだが休まずに歩き続けると、キャンプ地からちょうど標高差で500m登った所にあるゴンパの傍らで、先行していた外国人隊員と工藤さんが寛いでいた。 行動食のゆで卵やチーズを食べて30分ほど休んでから、キャンプ地に下る外国人隊員と別れ、少し先に見える数軒の人家のある所まで登る。 平岡さんが顔にけがをしている子供に傷薬を塗ってあげると、その父母や祖父母たちが寄ってきて皆で写真に納まった。 マナスルを登りにきたことを伝えると、長老が分厚い雲を指さし、「あそこがマナスルだ!」と教えてくれた。 晴れていればさぞ素晴らしいマナスルの雄姿が望まれるに違いない。 家の軒先で干していた白い小さな物は、ヤクのチーズだと教えてくれた。 山は見えなかったが、僅かばかりでも奥地の住人と触れ合えて良かった。 

   サマ村に下り、青い屋根の建物に立ち寄ってみると、それは野口健さんが寄付を募って建てた小学校だった。 私達は野口健さんの友人だと話すと、4〜5名のスタッフが総出で校舎内を隅々まで案内してくれた。 3時過ぎにキャンプ地に戻ると、スタッフがおやつにインスタントラーメンを作ってくれた。 昨日と比べそれなりに長い距離を歩いたので、個人テントに戻り夕食まで昼寝をして過ごす。 夕食後は山の話に花が咲き、夜遅くまでダイニングテントで盛り上がった。 体もだいぶ順応してきたようで嬉しい。 予定どおり明日はレスト日となった。


高所順応のハイキングでB.C方面への道とは正反対の方向に山道を辿る


村外れに建つ野口健さんが寄付を募って建てた小学校


氷河から流れ出す乳白色の荒々しい川と合流する( 帰路の撮影)


4000m付近の広く平らな牧草地


ハイキングの終了点となったゴンパ(僧院)


ゴンパで登山の成功を祈る


奥地の住人と触れ合う


軒先で干していたヤクのチーズ


小学校で自習する村の子供達


サマ村の入口


サマ村のツーリスト向けの宿


ディナーの前菜のえびせん


今日のディナー


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