《 8月30日 》

サマ村  ( 3 5 3 0 m ) ⇒ 高所順応  ( 3 8 5 0 m ) ⇒ サマ村  ( 3 5 3 0 m )

   8月30日、ネパールでは6月から8月までがモンスーンとよばれる雨期で、夜中はこの時期としては普通の雨が降っていた。 予想していた頭痛ではなく、息苦しさあるいは軽い動悸で1時間半に一度くらいの間隔で目が覚めた。 同じテントの工藤さんは一晩中熟睡している感じで羨ましかったが、起床時のSPO2と脈拍はそれぞれ88と66で、思ったより悪くなかった。 朝には雨は止んだが、標高が高いので陽が当たるまでは肌寒い。 7時の起床時間になるとキッチンスタッフが、予想していた“洗面器にお湯”というスタイルではなく、ステンレスの鍋に入った熱いおしぼりを個人テントに持ってきてくれた。 おしぼりには香水が使われていて驚いた。 おしぼりに続いて大きなマグカップに注がれたミルクティーも配られ、さらっとした味でとても美味しかった。 

   8時に朝食を食べにダイニングテントに行く。 国際隊なのでとりあえず「グッモーニング」と英語で挨拶をし、その後は隊員やガイドの母国に応じてドイツ語やスペイン語などで挨拶をして親睦を図る。 ラトヴィア語では「ラブリートゥ」というらしい。 親日家のアメリカ人のウォーリーからは「おはようございます、ヨシキー」と返ってくる。 食事の前にも朝と同じおしぼりのサービスがあった。 朝食にはまずオートミールが出され、その後に食パンと目玉焼きというシンプルなものだった。 もちろんおかわりは自由だ。 意外にも朝食の間にポーチに入れておいた予備の充電池が突然高温を発し、表皮が溶けてしまうというアクシデントがあり、危うく一緒に入れておいたパルスオキシメーターも壊れるところだった。 

   午前中は散歩程度に高所順応のハイキングに出掛ける。 トレッキング隊やガイドも含めると30人以上の団体となるので、私達は外国人隊員達を見送ってから一番最後に出発する。 陽射しはそこそこあるが、雨期なので日本の梅雨のような曇天だ。 中国(チベット)との国境の山々は見えているが、マナスルは厚い雲の中で全く見えない。 村の周囲は緑が濃く、乾燥しているという感じは全くしない。 ブリ・ガンダキ川に沿って、B.Cへのトレイルの途中にあるマナスル氷河の舌端(約3850m)の高さを目指してゆっくり歩く。 河原から平らな石を背負って歩いてくる村の子供達にカメラを向けると、皆一様に顔をそむけてしまう。 一方で一番大きな子供はMP3を聞きながら歩いていた。 日本にはない青い花の高山植物が多い。 予備の充電池が使えなくなってしまったので、写真を撮る枚数が制限されてしまうのが悔しい。 

   キャンプ地から1時間ほど緩やかに登って行くと、55年前の日本隊がB.Cにしたカルカ(石室)のある平坦地に着いた。 ここは『ジャパニーズ・ベースキャンプ』という名称があるようだ。 そこからさらに30分ほど急坂を登り、眼下に乳白色の氷河湖が見えた所でハイキングを終了した。 先行した外国人隊員達は氷河湖の畔に行ったようだった。 相変わらず天気は冴えないが、雨が降らなかっただけありがたい。

   キャンプ地を見下ろす高台のゴンパに立ち寄り、昼過ぎにキャンプ地に戻る。 外国人隊員達は村で仕入れたビールを飲んで寛いでいた。 キッチンスタッフが作ってくれた昼食を食べ、午後は個人テントで文庫本を読んだりして静養する。 SPO2と脈拍はそれぞれ87と87で、脈が少し高い。 意識的に水分を補給するように努めたが、夕方から少し頭痛がしてお腹もゆるくなった。 気温は15度前後だが、肌寒く感じるのでダウンを着込む。 るみちゃんはお腹がチクチク痛いということで夕食をパスした。 私も食べながらお腹が少しもたれてきたので、腹八分目にしておいた。 夕食後のSPO2と脈拍はそれぞれ90と65で、2週間前に登った富士山の山頂での数値とほぼ同じだった。


キャンプサイトから見た中国(チベット)との国境に聳える山々


散歩程度に高所順応のハイキングに出掛ける


ブリ・ガンダキ川


日本にはない青い花の高山植物


日本隊が初登頂した時のベースキャンプ跡


3 8 5 0 m地点から見た氷河湖


マナスル氷河の舌端


キャンプ地を見下ろす高台のゴンパに立ち寄る


ダイニングテントでの夕食


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