《 8月27日 》
羽田 ⇒ バンコク ⇒ カトマンドゥ ( 1 3 3 0 m )
2011年8月26日の夜、見送りに来てくれた妻と一緒に勤務先から羽田空港に直行する。 タイ航空のチェックインカウンターの前で今回山にご一緒する仙台の工藤さんと落ち合う。 工藤さんは前年にダウラギリ、前々年にアマ・ダブラムとネパールの山に通っている同年代のサラリーマンだ。 タイ航空のHPの注意書きに従い、預ける荷物20キロと機内持ち込みの手荷物7キロを時間を掛けてパッキングしたにも係らず、先にチェックインした工藤さんの話しでは預ける荷物は30キロまでOKだったとのこと(あとで関西からのメンバーにも聞いたところ、関空では25キロまでOKだったが、齋藤さん(るみちゃん)は2キロオーバーで1万円の超過料金を徴収されたとのことだった)。
飛行機が羽田を発ったのは日付の変わった27日の午前零時過ぎで、羽田からタイのバンコクまでは所要5時間、時差は2時間だった。 ちょうど寝る時間帯だったが、気持ちの昂ぶりで殆ど眠れなかった。 バンコクのスワンナプーム空港は乗り継ぎだけだったが、手荷物の中からメガネのネジを締める小さなドライバーと小型の万能ナイフを没収されてしまった。 空港のロビーで関空から来た藤川さんとるみちゃんに再会する。 トランジットは5時間ほどあり、ベンチで横になったりして過ごす。 バンコクからカトマンドゥまでは3時間、時差は1時間15分だった。 日本よりも緯度の低いネパールだが、予想どおり古くて小さなトリブヴァン空港には空調設備などはなく、この時期はまだ蒸し暑かった。 入国審査と同時に行うビザの申請の列に並ぶと、登山家の竹内洋岳さんのチュ・オユー登山のサポート役で来たというガイドの中島健郎さんと出会った。 ネパールの観光ビザは90日間で100ドルとネパールの物価水準を考えると非常に高い。 意外にも申請はスムースで5分足らずだった。
空港ではインドのルンサール・カンリ(6662m)の登山ツアーのガイドを終えたばかりの日焼けした平岡さんが出迎えてくれ、手配したワゴン車に乗ってホテルに向かう。 街中は埃っぽく、色々な匂いが混在した独特の匂いがする。 車はそれほど多くなく、中型のバイクが多い。 タクシーはインドから入ってくる中古車が多いためか、殆どがスズキの小型車だ。 今回の入下山時に泊まるホテル『ハイアット・リージェンシー』はネパールで一番高級なホテルで、周囲を高い塀に囲まれただだっ広い敷地の中にあり、入口のゲートには警備員が3人もいた。 入口からホテルの建物までの距離も数百メートルあり、歩いて出入りする人はいない。 ここは正に別世界で、ネパール(カトマンドゥ)にいるという気が全くしない。 ウエルカムドリンクを頂いてから工藤さんとツインの部屋に入ると、ベッドはWサイズでバスルームにはバスタブとシャワーが別々にあって驚いた。 シャワーは湯量が豊富で、バスタブに浸かる必要もないほどだった。 EMSで送った荷物が部屋に届くと、明後日向かうサマ村へのヘリには一人当たり20キロまでしか荷物が積めないので、それを超える荷物はプラスチックの樽に入れて陸路で運ぶため、その振り分けをするようにとの指示があった。 但し、陸路で運ぶ荷物は私達がB.Cに着く頃に届くとのことで、必然的に登山用品などの不急なものを樽に入れることになった。
夕方の6時から全体のミーティングがあるとのことで階下のバーに集合すると、想像以上に多くの人達が集まってきた。 外国人の隊員は20代から40代の人が中心で、一人だけ60代と思われる方がいた。 誰かが音頭をとってくれるわけでもなく、好き勝手にお互いの名前を名乗り合って握手を交わしたため、誰が誰なのか全く分からないし覚えられない。 この原因はもともとエントリーしていた私達を含む12人の登山隊員とガイド3人に、B.Cまでのトレッキング隊員が4人と10人の“軍人”とTVクルー(カメラマン)1人、そしてガイドが2人急遽増えたためだった。 ガイドの中には昨年ニュージーランドのアスパイアリングで会ったデーブや、ペルーのアルパマヨで会ったエイドリアンの顔があり嬉しかった。 中庭で隊長のラッセル・ブライスが長々と歓迎の挨拶をした後は、ミーティングではなく三々五々飲み会に移行した。 ラッセルとも少しだけ話をしたが、意外と気さくで腰の低い人だった。 59歳ということで少しお腹も出ているが、この公募登山隊を組織してからエベレストは2回、チョ・オユーは9回、マナスルは1回、そしてシシャパンマは2回自らも山頂に立ったとのことだった。 今春エベレストで亡くなられた登山家の尾崎隆さんの死因については、登山期間が短く高所順応が不十分だったと残念がっていた。
今回急遽隊員に加わった若い軍人さん達は、アフガニスタンで戦争に従事したイギリス兵で、中には戦傷で肘から先の手がない人や指がない人がいた。 イギリスの慈善事業の団体がこの兵士達がエベレストに登る(マナスルはそのプレ登山)というドキュメンタリー番組を企画・テレビ放映し、その収益金を身障者へのチャリティーに充てるのだという。 その企画を今回ラッセルが引き受けることになったらしいが、日本(人)では全く考えられない発想にのっけから驚かされた。 このことがこれからの登山活動にどのような影響を及ぼすのか全く想像すら出来ない。 しばらく中庭で前祝いにビールを飲みながら歓談した後、ホテルの1階のメインのレストランで夕食を食べる。 2000ルピー(邦貨で約2100円)のディナーバイキングにしたが、スープ、前菜、そしてメインからデザートに至るまで料理の種類が多く、またどれも美味しいので、ついつい食べ過ぎてしまった。 階上にはさらに高級な専門店もあるようだったが、これで充分満足だった。