《 プロローグ 》

   2011年の秋は、以前から憧れていたネパールのアマ・ダブラム(6812m)に登る予定でいたが、前年の秋に神田の石井スポーツで開催された海外登山のスライドショーの二次会でガイドの平岡さんからネパールのマナスル(8163m)に誘われ、急遽予定を変更して初の8000m峰に臨むことになった。 私はネパールにも行ったことはないし、順番的にもより困難な登攀が要求されるアマ・ダブラムを若いうちに(すでに50歳を過ぎて若くはないが)登ろうと考えていたが、平岡さんから「アマ・ダブラムはそれほどむずかしくなく、酒井さんなら60歳になっても登れる。 高い山は高齢になればリスクが高くなるので、将来8000m峰に登る計画があるなら少しでも早い方が良い」というアドバイスを受けた。 私は何人かの山仲間が登っているマナスルには強い憧れがあったものの、初めての8000m峰としては一番易しく、かつ、気象条件も厳しくないチョ・オユー(8201m)を考えていた。 平岡さんにこの辺りの話をしたところ、現在高所登山の主流となっている商業登山隊の最大手のヒマラヤン・エクスペリエンス社(HIMEX)がチベット問題で中国側からのチョ・オユー登山を止めてしまい、マナスルなどの他の山に切り替えているので、今では“インフラ”の整っているマナスルの方が現実的には登り易くなっているという。 今回のマナスル登山はこのHIMEX隊に平岡さんが日本人の専属ガイドとして雇用され、私が隊員として参加すればすでに参加を決めている仙台の工藤さんと2名になるため、費用は230万円ほどで済むとのことだった。 アマ・ダブラムに未練はあったが、来年は勤続30年ということで長期休暇が取りやすい環境が出来ていたので、その場で参加を決めることになった。

   マナスル(8163m)は世界に14座ある8000m峰のうちの1座で、そのうちの8番目の標高を誇り、ネパールのほぼ真ん中の中国との国境付近に聳えている尖峰である。 アイガーのミッテルレギを初登攀したことで有名な槇有恒氏を隊長とする日本人隊が今から55年前の1956年に初登頂した唯一の8000m峰であることも興味深い。 この時の記録は同氏の著書『マナスル登頂記』に詳細が記されているが、この本には現代の高所登山でも十分通用するタクティクスも随所に見受けられ、またこの時の初登ルートが現在でも一般ルートとなっている。

   年末から年始にかけては、マナスルに向けての装備品の調達を行った。 6000m峰までの装備で足りないものは、主に高所靴といわれる長靴のようなタイプの登山靴と厚い羽毛服だ。 この二つのアイテムは物理的な面のみならず精神的な面での安心感もあるため、お金を惜しまずに最高級かつ最新の物を買うことにし、靴はザンバランの『エベレスト8000』、羽毛服はヴァランドレの『ベーリング』となったが、他に新調したクランポン(グリベル)などの登山用品も含めて石井スポーツの越谷部長の好意により“遠征割引”ということで全て20%引きにしていただいた。 また、同店に勤めている登山家の平出和也さんからも色々とアドバイスを受けたのみならず、海外の山の情報交換も出来て良かった。 この高所靴と羽毛服は事前に厳冬期の浅間山と蓼科山という風の強い独立峰で試してみたが、強風や低温に関しては全く問題なく製品に対する信頼感は高まった。 また、高所靴は雪の上であればそれほど歩きにくくなく、重さも一般の二重靴とあまり変わらなかった。

   その後3月に未曾有の大震災があり、先行きが危ぶまれたが、7月の海の日の連休に小淵沢で今回の登山メンバー(男性3人と女性1人)の顔合わせと説明会があり、仙台の工藤さんは来られなかったが、大阪の藤川さんと舞鶴の齋藤さんが来られた。 お互い初対面のはずだったが、紅一点の齋藤さんとは2年前の7月にお互いの目標の山(私はワスカラン、齋藤さんはラクパ・リ)への高所順応のため富士山に登り、その山頂でエールを交歓していたことが分かり、その偶然さに驚いた。 翌日は親睦を兼ねて平岡さんがガイドで横岳の『小同心クラック』を皆で登ったが、その下山中にマナスルの麓の村に日本人学校を建てた登山家の野口健さんにお会いするというオマケがついた。 説明会では平岡さんからB.Cでの滞在が長期間(1か月)になるので、その間にストレスを溜めないような快適用品も重要との話があり、折り畳みのイスや分厚いエアーマットなどを持って行くことにした。 また下着などは天候によっては洗濯が出来ないことがあるので、多目に用意することにした。 お菓子は行動食のみならず、B.Cで食べる嗜好品も沢山用意したため、装備品の総重量は47キロにも膨れ上がり、このうち20キロはEMS(国際郵便)で事前にHIMEXのカトマンズ事務所に送ることになった。 今回の8000m峰登山の最大の懸案事項は、酸素マスクとメガネ・オーバーグラスとの相性だったので、フレームが柔らかくレンズの小さなものを2つ作って持って行った。 当初は登山隊員の中に石川直樹さんとガイドの田村真司さん(スイスのツェルマット・アクティブマウンテン社代表)がいたが、直前に石川さんがキャンセルされたため、田村さんも来られなくなってしまったのは残念だった。


B.Cからサマ村への下山時に見たマナスル


N E X T  ⇒  《 8月27日 》

マ ナ ス ル