《 プロローグ 》

   1999年の夏に初めて行った海外旅行の地が、カナダのロッキー山脈(カナディアンロッキー)だった。 ロッキーの変化に富んだ氷河の山々や美しい湖沼を見てからは海外の山の魅力にとりつかれ、その後はヨーロッパアルプスを中心に世界の山々へ足繁く通うようになったが、果たして当時ロッキーで見た斬新な風景は、今でも同じような感動を与えてくれるのか、新しい風景との出会いよりもむしろそれを検証したいという思いが募っていた。 退職後はそれを実行すべく、以前から登頂の機会を窺っていたロッキーの名峰アシニボイン(3618m)のガイドの手配を現地のエージェントのヤムナスカ社に依頼したが、その直後にコロナが世界中に蔓延してしまい、計画を延期せざるを得なかった。

   それから3年経ってようやく制約なしで海外に行けるようになったが、他の観光地と同じようにコロナ明けの観光客が殺到したことで、以前から予約が取りにくかったロッキーの登山基地のバンフやキャンモアのホテルは春先からすでに払底していた。 これは想定内のことで、登山口(トレイルヘッド)へのアプローチには時間を要するが、インフラの整ったゲートウェイのカルガリーにアパートを借りることにした。 想定外だったのは極端な円安(1CADが105円)で、コロナ明けの需要の増加も手伝ってアパートの家賃は1日約19,000円、レンタカーの料金は1日約12,000円、エアチケットは繁忙期にウエスト・ジェット航空の直行便を利用したことで1人268,000円だった。

   アシニボインのガイドの手配は、ヤムナスカ社がコロナに起因した事業規模の縮小とコロナ明けの需要の急増で間に合わず、各山域の山小屋の予約も全く取れない状況だったので、前回悪天候で断念した日帰りのハイキングや登れなかった山を登り、まだ足を踏み入れていない北部のジャスパー方面や西部のゴールデンを起点とするハイキングを幾つか選んだが、出発直前に登山アプリのYAMAPに投稿されていた現地在住のミカコさんの登山記録を参考に登る山の数を増やしていくうちに、ハイキングよりも日帰りの登山がメインの計画となった。


モレーン・レイクとテン・ピークスの山々(1999年7月撮影)


N E X T  ⇒  《 7月24日 》

カナディアンロッキー



2 0 2 3 年    ・    山 行 記    ・    T O P