《 4月28日 》

B.C(5150m) 〜 I.R.C(5800m)

   4月28日、下痢はようやく治まったようで、夜中にトイレに行くことはなかった。 今日から約1週間の予定でI.R.C(インター・リム・キャンプ/5800m)を経てA.B.C(アドバンス・ベース・キャンプ/6400m)への順応ステージに入る。

   朝食を食べてから9時半過ぎにB.Cを出発。 病み上がりのような体なので、皆よりも少し遅いペースで歩き始める。 広い扇状地のB.Cの先端からモレーンの背の踏み跡を辿っていくと、1時間ほどで氷河湖が見えてきた。 A.B.Cへの荷上をしてくれるヤクも通るため道は良く踏まれているが、倉岡さんからの事前の説明どおり、緩やかではあるものの小さな登り下りの繰り返しで、標高が全く稼げない。 後から出発したアンドレアスの率いるヨーロッパ隊が追い越していったが、私達はあくまで1時間に1回程度の休憩を取りながらスローペースで進む。 B.Cである程度順応してきたとは言え、5000mを超えてのトレッキングはキツイ。 『ジャパニーズ・ベース・キャンプ』と名付けられた昔の遠征隊がキャンプ地としていた平坦地が今日の中間点とのことだった。 当初この区間はハイキング気分で行けると思っていたが、世界最高峰への第一歩は甘くはなかった。 今日は良い天気を選んできたが、アタックステージでは登頂日に合わせて天気の悪い日にも行動しなければならないので大変だろう。


B.CからI.R.Cへ


A.B.Cへ荷上する荷物の計量


9時半過ぎにB.Cを出発する


B.CからI.R.Cへ


チベットの雷鳥


後から出発したヨーロッパ隊が追い越していった


ジャパニーズ・ベース・キャンプ


B.CからI.R.Cへ


B.CからI.R.Cへ


B.CからI.R.Cへ


B.CからI.R.Cへ


   予想よりも遅く、5時に地形的にあまり特徴のないI.R.Cに到着。 B.CとI.R.Cの間の距離は10キロほどとのことだったが、もっともっと長いように思われた。 夕食は先に到着していたヨーロッパ隊と同じダイニングテントで食べた。 とても疲れてはいたが、食欲があったのが幸いだった。 就寝前のSPO2と脈拍は72と84で数値的には悪かったが体調は悪くなかった。 夜は疲労回復のため、オン・デマンド方式による酸素を毎分0.5L吸って寝たが、疲れてはいたものの吸気音がうるさくて熟睡出来なかった。


5時にI.R.Cに到着する


I.R.Cの個人用テント


I.R.Cのダイニングテント


夕食はヨーロッパ隊と同じダイニングテントで食べた


オン・デマンド方式により酸素を吸って寝た


B A C K  ←  《 4月27日 》

N E X T  ⇒  《 4月29日 》

エベレスト