《 プロローグ 》

   エベレスト(8848m/ネパール名はサガルマータ・中国名はチョモランマ)は両国の国境に聳える世界で一番標高の高い山で、また世界で一番有名な山だ。 2018年末までの日本人の登頂者は男性が約200人、女性が25人とのことだが、30年ほど前に上高地の河童橋から見た穂高の雄姿に惹かれて山登りを始めた自分が、エベレストにチャレンジすることになるとは夢にも思わなかった。 20年前から始めた海外での登山は、経験や資力そして勤務先の有給休暇の関係からアルプスの4000m峰、南米の6000m峰、そしてついにはヒマラヤの8000m峰へとエスカレートしていったが、それらの山行で知り合った方々の中にはすでにエベレストを登られていたり、またその後に登られた方も多く、昨今ではエベレストという山が特別な存在ではなくなりつつあった。 唯一他の山に比べて特別なのは、破格の入山料(11,000ドル)を含む登山費用と2か月近く必要な登山期間だろう。 今回は昨年会社を退職したことで登山期間に制約がなくなり、また登山費用も退職金でカバーできたので、この点は問題なかった。 むしろ問題なのは留守番の妻が腰痛を患ってしまったことと、昨年の秋にアマ・ダブラムで骨折した右手の人差し指が完治していないということだったが、この大きな山に臨むためにはそれ相応の問題はつきものなので、これは嫌でも乗り越えるしかなかった。

   今回のエベレストは1年前からガイドの倉岡さんに登山隊への参加を打診していて、参加費用は65,000ドル(邦貨で約715万円)だったが、B.C(ベースキャンプ)の環境や使用する酸素ボンベの本数などのサービスを考えると、為替レートは別として一昔前の公募登山隊よりも割安だと思えた。 ネパールと中国の国境に聳えるエベレストの山頂へは南のネパール側からのルート(南東稜)と北の中国(チベット)側からのルート(北稜)の二つが一般的で、倉岡さんの登山隊は以前から可能な限りチベット側からのルートを登っている。 チベット側から登るメリットは@ネパール側にあるアイスフォールと呼ばれる危険地帯がないこと、A標高5150mのB.Cまで歩かずに車で入れること、B標高6400mのA.B.C(アドバンス・ベース・キャンプ)まで氷河の上を歩かずに行けること、C最終キャンプ地(C.3)を8300mに設営できることで、デメリットは@シェルパをネパールから呼ばなければならため費用が嵩むこと、Aチベットの情勢が不安定でビザの発給など様々な規制があること、Bヘリコプターでのレスキューなど遭難や事故時の体制が確立されていないことなどだろう。

   今回のエージェントはアマ・ダブラムの時と同じ老舗のK&P社(コブラー&パートナー社/アルゼンチン)で、現地法人はヒマラヤン・ビジョンで共にとても信頼がおける。 アタックステージでC.1(7050m)の睡眠から使用する酸素ボンベは昨年の登山隊よりも1本多い8本が用意されることになったが、不測の事態と高度順応の利便性のため、C.1までに使うエキストラの酸素ボンベを更に8本追加でオーダーした。 圧縮酸素が1,200L入った酸素ボンベは1本5,000ドル(邦貨で約55,000円)だが、これを高いと思うかどうかは、高所登山の経験者にしか分からないだろう。 今回の登山隊のメンバーはセブンサミッツ(七大陸最高峰)の登頂を目指している鈴木さん(男性)と進藤さん(女性)と私で、倉岡さんも含めて59歳の私が最長老だった。


カラ・パタールの山頂から見たエベレスト(2013年10月22日撮影)


チョ・オユーの山頂から見たエベレスト(2016年9月30日撮影)


N E X T  ⇒  《 4月9日 》

エベレスト