《 プロローグ 》

   退職後初めての海外登山は、5年前に未曾有の大雪のため登ることが叶わなかったネパールの名峰アマ・ダブラム(ネパール語で“母の首飾り”6856m)となった。 エベレストを始めとする8000m峰に登れても、星の数ほどあるネパールの山の中でも抜きん出て印象的な山容のアマ・ダブラムに登らなければ、ネパールの山を登ったことにならないと思うのは私だけではないだろう。 今回は半年後に予定しているエベレストのガイドを依頼した倉岡裕之さんに、同峰の登山ツアーの企画を1年前からお願いした。 倉岡さんとは2003年のアコンカグアのB.Cで初めてお会いし、2年前のチョ・オユーでは同じエージェントの登山隊として行動を共にした。 エベレストの登頂回数は日本人最多の9回、セブンサミッツの唯一のガイドとしての実力を買われ、昨今ではTV番組の『イッテQ』にも出演している。 同じ大学の1期下だ。

   計画は順調に進行し、少し費用は嵩むが時間的にも安全面からも不安定なカトマンドゥからルクラへの飛行機でのフライトに替えてナムチェまでヘリで往復することになっていたが、参加する予定だった他のメンバーのキャンセルが相次ぎ、最終的な参加者が私だけという事態になってしまった。 ツアー代金の20,000ドルにさらに上乗せしないと催行されないと思ったが、ヘリでのフライトをやめるということで催行されることになった。 感動を共有する仲間がいなくて残念だったが、倉岡さんからはマンツーマンになれば確実に登頂率はアップすると言われ、それもまたメリットがありユニークで良いかなと思った。 倉岡さんと登頂のタクティクスについて事前に入念に協議を行い、今回の最終キャンプ地として予定しているC.2.7(C.2とC.3の間で6200m)で睡眠酸素を吸うため、酸素ボンベ1本をエキストラでオーダーした。 酸素ボンベは1本500ドル、マスクとレギュレターの使用料は300ドル、C.2.7への酸素ボンベの運搬費は1,400ドルだった。

   エアーチケットは催行が決った8月中旬に購入したが、インドのデリー経由のジェットエアウェイズのチケットを諸費用込みの112,000円で買うことが出来た。 預託荷物は30キロまで無料ということで、B.CとH.Cで使う寝袋を2個持っていくことにした。 倉岡さんとはカトマンドゥで宿泊するホテルで落ち合うことになり、カトマンドゥの空港には現地のエージェントのヒマラヤン・ビジョンの社長のスバシが迎えにきてくれることになった。


エベレスト街道から見たアマ・ダブラム(2013年10月撮影)


エベレスト街道から見たアマ・ダブラム(2018年10月撮影)


N E X T  ⇒  《 10月16日 》

アマ・ダブラム